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記事一覧

坐禅箴  「 これ単伝の正印なり 」

坐禅箴  41)いま、宏智禅師より後八十余年なりかの坐禅箴をみて、この坐禅箴を撰すいま仁治三年壬寅三月十八日なり今年より紹興二十七年十月八日にいたるまで前後を算数するに、わづかに八十五年なりいま撰する坐禅箴、これなり 坐禅箴 仏々の要機、祖々の機要 不思量にして現ず、不回互にして成ず 不思量にして現ず、其の現自ずから親なり 不回互にして成ず、其の成自ずから証なり 其の現自ずから親なり、曾て染汚無し...

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坐禅箴 「 宏智古仏なり 」

坐禅箴  40)宏智禅師の坐禅箴かくのごとし諸代の老宿のなかにいまだいまのごとくの坐禅箴あらず諸方の臭皮袋、もしこの坐禅箴のごとく道取せしめんに一生二生のちからをつくすとも道取せんことうべからざるなりいま諸方にみえずひとりこの箴のみあるなり先師上堂のときよのつねにいはく宏智古仏なり自余の漢を恁麼いふことすべてなかりき知人の眼目あらんとき仏祖をも知音すべきなりまことにしりぬ洞山に仏祖あることを正法眼...

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坐禅箴 「 足下無糸 」

坐禅箴  39)飛空の行履、はかるべきにあらず飛空は尽界なり、尽界飛空なるがゆえにこの飛、いくそばくといふことしらずといへども卜度のほかの道取を道取するに杳々と道取するなり直須足下無糸去なり空の飛去するとき、鳥も飛去するなり鳥の飛去するに、空も飛去するなり飛去を参究する道取にいはく只在這裏なり、これ兀々地の箴なりいく万程か只在這裏をきほひいふ正法眼蔵第十二巻は、「坐禅箴(Zazen Sin)」 でした直 tada ...

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坐禅箴  「 空 闊 」

坐禅箴  38)空闊(ひろ)くして涯りなし鳥の飛ぶこと杳々なり空闊といふは天にかかれるにあらず天にかかれる空は闊空にあらずいはんや彼此に普遍なるは闊空にあらず隠顕に表裏なき、これを闊空といふ鳥もしこの空をとぶは、飛空の一法なり正法眼蔵第十二巻は、「坐禅箴(Zazen Sin)」 でした左右上下、そして奥行きの前後何気ない空間感覚です目にトラブルが起これば視覚に支障を来し耳にトラブルが起これば聴覚に支障を来すでし...

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坐禅箴 「 魚行のごとし 」

坐禅箴  37)はかる岸なし、うかむ空なししづむそこなきがゆえに測度するたれなし測度を論ぜんとすれば徹底の清水のみなり坐禅の功徳、かの魚行のごとし千程万程、たれか卜度せん徹底の行程は、挙体の不行鳥道なり正法眼蔵第十二巻は、「坐禅箴(Zazen Sin)」 でした「 キリスト・イエスその象徴は初期 「 お魚 」 だった十字架をもってその象徴とするはそのあとになって、と読んだ事があります「 魚行のごとし 」お魚さんは...

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プロフィール

佐々木正巳

Author:佐々木正巳
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「国際交流のための坐禅会」

(ご希望に合わせ随時開催・参加費無料)

2006 東京国立博物館(上野) にて開催
2006~2015 仙台国際センターにて毎月開催
2022 ~  仙台 国見にて随時開催



かつて馬祖 baso の会 e に参じてとふ
「 如何是仏 nyoga-zebutu 」と
馬祖いはく
「 即心是仏 sokusin-zebutu 」と
法常このことばをききて
言下大悟 gonka-taigo す




法常禅師 Ho-zyo zenzi が
馬祖 baso 禅師の坐禅道場で
静かにお坐りになられてる
傍目にそのお姿は、静止してて
水面静まりけり、死人のように見えます
その死んだ水面に、天地が語りかけます
陽光星辰は一瞬も滞らず、その歌を奏でます

法常禅師はある時
馬祖禅師にご質問なされた
「 仏とは、どのようなものですか 」

馬祖禅師が答えます
「 坐禅においては、心が仏となります 」






宮城県仙台市青葉区国見5-6-18
( 5-6-18 kunimi Aobaku Senndai )


仙台にお越しの折は
気軽にお寄り下さいませ

ご連絡先はコチラでした!
090-7325-5711



師 沼田 勇 先生 



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文章を通しての師

Rudolf Steiner 先生
Kōdō Sawaki
沢木 興道 老師 ( 曹洞宗 )










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