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記事一覧

光 明 「 通身是眼睛時なり 」

光 明   26 )雪峰山真覚大師、示衆云僧堂前に、諸人と相見し了れりこれすなはち雪峰の通身是眼睛時なり雪峰の雪峰を見する時節なり僧堂の僧堂と相見するなり保福、挙して鵞湖に問ふ僧堂前は且く置く什麼の処か望州亭、烏石嶺の相見なる鵞湖、驟歩して方丈に帰る保福便ち僧堂に入るいま帰方丈、入僧堂、これ話頭出身なり相見底の道理なり、相見了也僧堂なり地藏院真応大師云、典座庫堂に入るこの話頭は、七佛已前事なり「 僧堂...

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光 明 「 有光佛、無光佛 」

光 明   25 )しかありしよりこのかた有佛殿の無佛なるあり無佛殿の無佛なるあり有光佛あり、無光佛あり無佛光あり、有佛光あり有無を言わさずと言う表現があります強引× 1,000 倍くらいでしょうかつべこべ言わんと!なんて述べようものならパワハラで糾弾されちゃいますこの一節は、何を言わんとしてるのか信長公、本能寺で明智光秀軍強襲を知りて「 是非に及ばず、弓をもて 」なんでそうなるのッ ? とか何か意味あります...

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お疲れ様です!4月28日 火曜日如何お過ごしでしょうか?昨日は、ブログお休みしてしまい申し訳ございませんでしたあらためて今週も、新緑のようご健勝であられますよう!お祈り申し上げます....

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光 明 「 人人にあらず 」

光 明   24 )いま道取する自代は雲門に自代するなり大衆に自代するなり光明に自代するなり堂佛殿廚庫三門に自代するなりしかあれども雲門なにをよんでか僧堂佛殿廚庫三門とする大衆および人人をよんで僧堂佛殿廚庫三門とすべからずいくばくの僧堂佛殿廚庫三門かある雲門なりとやせん七佛なりとやせん四七なりとやせん二三なりとやせん拳頭なりとやせん鼻孔なりとやせんいはくの僧堂佛殿廚庫三門たとひいづれの佛祖なりとも人...

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光 明 「 衆無対 」

光 明   23 )しばらく雲門にとふなんぢなにをよんでか人人とするなにをよんでか光明とする雲門みづからいはく作麼生是光明在この問著は、疑殺話頭の光明なりしかあれども、恁麼道著すれば人人、光光なり ときに衆無対たとひ百千の道得ありとも無対を拈じて道著するなりこれ佛祖使用伝の正法眼藏涅槃妙心なり雲門自代云、僧堂佛殿廚庫三門光明とは自らが自らに働きかけるその行為のことである「 自分が自分で自分に自分する ...

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光 明 「 尽 有 」

光 明   22 )しかあればしるべし人人尽有の光明は、現成の人人なり光光、尽有の人人なり「 有 」 も 「 在 」 もともに 「 ある 」 と読めますが道元禅師の 「 有 」 は向ける( 当てる ) の意の get に相応し道元禅師の 「 在 」 は加わっている の have を意味してる有 ( 向ける ) するから、在 が現成するさて、正法眼蔵この一巻は「 光 明 」と題されていますこちらは、慈雲尊者( 1718 ~ 1805 ) の書 「 不 見 」 で...

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光 明 「 光明尽有人人在 」

光 明   21 )光明尽有人人在なるべし光明自是人人在なり人人自有人人在なり光光自有光光在なり有有盡有有有在なり盡盡有有盡盡在なりこの一節は有 = たもつ ( 神妙に威儀を正す ) 時在 = その場所にあるという方程式を述べられてます積極的意志 ( 有 = たもつ )これを行使してこその 「 在 」道元禅師の方程式は威儀を正す、正せばこそって常に、行為と結果が 同時な方程式ですお話し転じてなぜ、遠くのものは、小さく見える...

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光 明 「 依報正報 」

光 明   20 )人人尽有光明とは渾人自是光明在なり光明といふは人人なり光明を拈得して、依報正報とせり「 主は、土の塵で人をつくり  命の息を吹き入れられた  命の息を吹き入れられた人は  生きる者となった      」..........................創世記自分以外に対して「 主 」 となるのはなんだかなぁ ・・ ですが自分が自分( 身体姿勢 ) の主となるは問題なさそう 、そう思われます自分が自分で自分へ、息...

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光 明 「 拈光爲道 」

光 明   19 )人人、自有、光明在と道取するをあきらかに聞持すべきなり百千の雲門をあつめて同参せしめ一口同音に道取せしむるなり人人、尽有、光明在は雲門の自構にあらず人人の光明みづから拈光爲道なり一部の稀な趣味人が坐禅 ( 威儀 ) をなさってこられたそれが事実と言えますでは、それに一般性はないかと言うと、ないどころか大ありどころじゃない! でしょうか「 光明在は、雲門の自構にあらず 」持って生まれて来る...

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光 明 「 傍観の現成といはず 」

光 明   17 )いま大師道の人人尽有光明在はのちに出現すべしといはず往世にありしといはず傍観の現成といはず威儀( 姿勢 ) を正すお辞儀して両股関節を押さえそのまま鳩尾を伸ばして大腰筋をはる、張力を引き出すこの垂直の張力に沿ってはく息は下り、すう息はのぼるこれだけの事です佐々木君は、おトボケな事考えてるんですね ! 確かにィ、です一方、この思考を分析してみるとこの思考は思考と実行実証結果に時差がないと...

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光 明 「 僧堂佛殿厨庫三門 」

光 明   16 )雲門山大慈雲匡真大師は如来世尊より三十九世の児孫なり法を雪峰真覚大師に嗣す佛衆の晩進なりといへども席の英雄なりたれか雲門山に光明佛の未曽出世と道取せんあるとき、上堂示衆云人人尽く光明の在る有り看る時見ず暗昏昏なり作麼生ならんか是れ諸人の光明在ること衆、対ふること無し自ら代て云く僧堂佛殿厨庫三門「 僧堂佛殿厨庫三門 」僧堂 - お家があって佛殿 - 仏を祀って厨庫 - 生活がある大慈雲匡真大師...

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お疲れ様です!4月20日 月曜日如何お過ごしでしょうか?すこし山の方へ行きますと山桜淡く咲きほこりけり今週も温かくなされてご健勝であられますよう!....

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光 明 「 皮肉骨髓 」

光 明   15 )佛道に修證する尽十方界は髑髏形骸、皮肉骨髓なり正法眼蔵には何が書かれてるのでしょう?「 出身の活路 」が書かれてる家にこもりっきりそれでは息づまっちゃうお外で新鮮な空気を吸わなきゃとなります威儀( 姿勢 ) を正すお辞儀して両股関節を押さえそのまま鳩尾を伸ばして大腰筋をはる、張力を引き出すこの垂直の張力に沿ってはく息は下り、すう息はのぼるこれだけの事ですが身体 ( 髑髏形骸、皮肉骨髓 ) をそ...

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光 明 「 髑髏七尺 」

光 明   14 )尽十方界は是自己なり是自己は尽十方界なり廻避の余地あるべからずたとひ廻避の地ありともこれ出身の活路なり而今の髑髏七尺すなはち尽十方界の形なり、象なり出歩かないこれは異常事態です一方、佛道を修証するにはまたとないチャンス家の中でのあらゆる動作心作じゃなく動作、それをPKシュート動き出し モードにプロポーズ ? 開口一秒前 モードに骨格・筋肉・呼吸( 髑髏形骸、皮肉骨髓 )これに精神を打ち込...

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光 明 「 証 験 」

光 明   13 )草木牆壁、皮肉骨髓これ光明の赤白なり烟霞水石、鳥道玄路これ光明の廻環なり自己の光明を見聞するは値佛の証験なり、見佛の証験なり「...................一方では、自我と......................物質体および感覚器官が直接対峙する......................それらはエーテル体( 過去→未来 )( 生命 )と ......................アストラル体( 未来→過去 )( 感受 )の流れに......................直角に交わる........

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光 明 「 修証はなきにあらず 」

光 明   12 )生死去來は、光明の去來なり超凡越聖は、光明の藍朱なり作佛作祖は、光明の玄黄なり修証はなきにあらず、光明の染汚なり「 修証はなきにあらず 」祖師方の御提示なされしものそれはきちぃっと威儀を正した骨格・筋肉・呼吸それをその中から感じるよう自己を投入した状態感性そこにおいての 「 ありのまま 」と言えますある意味ぜんぜん「 ありのまま 」ではありませんとは言えきちぃっと威儀を正せば逆にそっちの...

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光 明 「 尽十方界 」

光 明   11 )しかあれば明明の光明は百草なり百草の光明、すでに根莖枝葉花菓光色、いまだ与奪あらず五道の光明あり、六道の光明あり這裏是什麼処在なればか説光説明する云何忽生山河大地なるべし長沙道の尽十方界是自己光明の道取を審細に参学すべきなり光明、自己、尽十方界を参学すべきなり「 自分が自分で自分を自分する 」坐禅 ( 威儀 ) を要約された澤木興道老師のコメントでしたその実際はお辞儀をして両股関節を押さ...

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光 明 「 佛光をみて 」

光 明   10 )しかありといへども韓文公なほ佛書を見聞せざるところありいはゆる佛光非青黄赤白等の道いかにあるべしとか学しきたれる卿もし青黄赤白をみて佛光にあらずと参学するちからあらばさらに佛光をみて青黄赤白とすることなかれ憲宗皇帝もし佛祖ならんにはかくのごとくの宣問ありぬべし「 自分が自分で自分を自分する 」これは坐禅 ( 威儀 ) を要約された澤木興道老師の言葉です「 佛光をみて  青黄赤白とすることな...

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光 明 「 文公無対なり 」

光 明   9 )唐憲宗皇帝は穆宗、宣宗、兩皇帝の帝父なり敬宗、文宗、武宗、三皇帝の祖父なり佛舍利を拜請して入内供養のちなみに夜放光明あり皇帝大絓し、早朝の群臣みな賀表をたてまつるにいはく陛下の聖徳聖感なりときに一臣あり韓愈文公なり。字は退之といふかつて佛祖の席末に参学しきたれり文公ひとり賀表せず憲宗皇帝宣問す群臣みな賀表をたてまつる卿なんぞ賀表せざる文公奏對す微臣かつて佛書をみるにいはく佛光は青黄...

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お疲れ様です!4月13日 月曜日如何お過ごしでしょうか?雨模様、花冷えな月曜日でした温かくなされて今週もご健勝であられますよう....

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光 明 「 眼睛裏 」

光 明   8 )これ話頭光なり此光は佛光なり照東方は東方照なり東方は彼此の俗論にあらず法界の中心なり、拳頭の中央なり東方を礙すといへども光明の八両なり此土に東方あり、他土に東方あり東方に東方ある宗旨を参学すべし万八千といふは万は半拳頭なり半心なりかならずしも十千にあらず万万百万等にあらず佛土といふは、眼睛裏なり照東方のことばを見聞して一條白練去を東方ひきわたせらんがごとくに憶想参学するは学道にあら...

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光 明 「 佛 土 」

光 明   7 )いはゆる佛の光明は尽十方界なり尽佛尽なり、唯佛与佛なり佛光なり、光佛なり佛は佛を光明とせりこの光明を修証して作佛し、坐佛し、證佛すこのゆえに此光照東方万八千佛土の道著あり.............................「 神を見る事は出来ないが.............................  神をする事は出来る   」...........................................澤木興道 (1880 - 1965)神妙に、身体で十字を切るこれがとりも...

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光 明 「 胡 乱 」

光 明   6 )漢より隋唐宋および而今にいたるまでかくのごとくの流類おほきのみなり文字の法師に習学することなかれ禪師胡乱の説、きくべからず胡 Koは、でたらめ乱 Ranは、むやみにみだれる「 光 明 」を視聴覚の対象や思考信条の対象そのようにイメージしてしまうこれが「 胡 乱 」であるでは、そうならないためにはどうしたらいいのか姿勢を正す、威儀を正すそうなるわけですが如何せん、はいッそうですかはいッ!そうですね...

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お疲れ様です!4月8日 水曜日如何お過ごしでしょうか?こちらは、昨日夕刻向かいの雑木林より上りしお月様でした、....

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光 明 「 眼 睛 」

光 明   5 )転疎転遠の臭皮袋おもはくは佛光も自己光明も赤白青黄にして火光水光のごとく珠光玉光のごとく龍天の光のごとく日月の光のごとくなるべしと見解す或従知識し或従経巻すといへども光明の言教をきくには螢光のごとくならんとおもふさらに眼睛頂頁の参学にあらず祖師方の言葉は辛辣と言えば辛辣です「 臭皮袋 」この身体の事でしょうかしかし、この身体が大事貴重な身体となるか臭皮袋となるかはピント外れな ( 転疎転...

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お疲れ様です!4月6日 月曜日如何お過ごしでしょうか?このじたいあってもなくてもこの時期は一日の気温変化急上昇急降下な頃でしょうか今週も温かくなされてご健康であられんことこころより祈り上げます 。....

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光 明 「 疎 遠 」

光 明   4 )それよりさきは佛の光明を見聞せるなかりきいはんや自己の光明をしれるあらんやたとひその光明は頂より擔来して相逢すといへども自己の眼睛に参学せずこのゆえに光明の長短方円をあきらめず光明の卷舒斂放をあきらめず光明の相逢を却するゆえに光明と光明と転疎転遠なりこの疎遠たとひ光明なりとも疎遠に礙せらるるなり。自らの意志を発揮して呼吸の上下を監視するこの注意力をもう一人の自分から見るとまるで 「 ...

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光 明 「 正伝 」

光 明   3 )震旦國、後漢の孝明皇帝帝諱は莊なり、廟号は顕宗皇帝とまうす光武皇帝の第四の御子なり孝明皇帝の御宇、永平十年戊辰のとし摩騰、竺法蘭、はじめて佛を漢國に伝来す焚経台のまへに道士の邪徒を降伏し佛の力をあらはすそれよりのち梁武帝の御普通年中にいたりて初みづから西天より南海の広州に幸すこれ正法眼藏正伝の嫡嗣なり釋牟尼佛より二十八世の法孫なりちなみに嵩山の少室峰少林寺に掛錫しまします法を二太禪...

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光 明 「 転疎転遠 」

光 明   2 )仏道の参学かならず勤学すべし転疎転遠なるべからずこれによりて光明を学得せる作家まれなるものなり 自家の坐牀(Zasyo)を 抛却(Hokyaku)して みだりに他国の塵境(Zinkyo)に去来せん「 普勧坐禅儀 」の一節でしたぼやっとしてるこれは分かりますが喜怒哀楽のフレーズを内面で大声で歌ってるこれがみだりに他国の塵境(Zinkyo)に去来してるそうは、なかなか思えませんどんな時自家に帰ってるんでしょうか...

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光 明 「 尽十方界 」

光 明   1 )大宋國湖南長沙招賢大師上堂示衆云尽十方界、是れ沙門の眼尽十方界、是れ沙門の家常語尽十方界、是れ沙門の全身尽十方界、是れ自己の光明尽十方界、自己の光明裏に在り尽十方界、一人として是れ自己にあらざる無し正法眼蔵 第十五巻 は「 光 明 」 でしたこちらの お写真「 Balance Board 」 椅子の上 でした尽十方界、身体で十字を切るこのような不安定な上に坐りますと俄然、きちぃ縦線を引かんとすそのテンシ...

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空 華 「 地空ともに 」

空 華   59 )蓋国買無門は蓋國買はなきにあらず買無門なり従地発の空華あり従花開の盡地ありしかあればしるべし空華は、地空ともに開発せしむる宗旨なり正法眼蔵 「 空 華 」 ラスト一節でした 。泣きたくなる時もある踊りたくなる時もある心魂は、有為転変なる哉です色々あるけど精神 ( 空 ) を一本この身 ( 地 ) に通してしゃんと威儀を正す大樹、千年の四季を覧すでしょうか ....

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プロフィール

佐々木正巳

Author:佐々木正巳
「 国見坐禅会 」

(ご希望に合わせ随時開催・参加費無料)


宮城県仙台市青葉区国見5-6-18
( 5-6-18 kunimi Aobaku Senndai )

090-7325-5711 佐々木正巳 まで










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