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記事一覧

断念の習得

心の因数分解  4心身が怒りにも似た激情に支配されてしまったもはや、これまで 。そう、気分を一新出来るだろうか禅僧の本領とはこの 「 断念 」 の習得にあると思われます....

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逆向きの意志

心の因数分解  3百丈禅師は「 一日なさざれば一日食らわず 」 ですとても強い意志をお持ちで常人の真似出来る事ではないですねそう思っちゃいますでも、はたしてそうだろうか?そう問えます確かに、何かをする場合強い意志が必要な感じがしますしかし、何かをしない意志出来るのに何かを断念する意志の場合強い意志は必要でしょうか断念する意志の場合意志の向きは逆になります逆向きの意志って独特な特性をお持ちなのかも....

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お疲れ様です!6月29日 月曜日如何お過ごしのことでしょうか ?紫陽花や 帷子時(katabiraToki)の 薄浅黄(usuAsagi).................................芭蕉季節は梅雨ですが今朝は、美しき青空です今週もご健勝であられますようこころよりお祈り申し上げます....

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行 持  「 一日不食 」

行 持   35 )百丈山大智禅師そのかみ馬祖の侍者とありしより入寂のゆふべにいたるまで一日も為衆為人の勤仕なき日あらず ( 百丈懐海禅師は、以前。。馬祖道一禅師の侍者をなされていた時から  亡くなる日の夕べまで  一日たりともお掃除などの作務を  なされない日はありませんでしたかたじけなく、一日不作一日不食のあとをのこすといふは、百丈禅師すでに年老臘高なり ( かたじけないことに ( 「一日なさざれば、...

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行 持  「 天厨をまつことなし 」

行 持   34 )雲居山弘覚大師そのかみ三峰庵に住せしとき天厨送食す大師あるとき洞山に参じて大道を決擇( Ke`tyaku )してさらに庵にかへる ( 雲居山の弘覚大師が以前 ( 三峰庵に住んでいた時 ( 天界の料理人がお食事を提供なされてた ( 大師はある時、洞山良价禅師にまみえるえて ( 大道をえ再び庵に帰られた天使また食を再送して師を尋見するに三日を経て師をみることをえず天厨をまつことなし大道を所宗とす、弁肯の...

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極端な意志

心の因数分解  2雲巌 ( Ungan ) 禅師は誓いを立て「 今後、横になって休まず 」と言う、意志を行使なされましたこれは極端話しで、私達が学ぶところはないようにも見えますが日常生活に大いに参考となるのではそのように思われます身体を断念する、と言う極端な意志と空き家になった身体へ正確な思考( 垂直や水平、力の均衡等 ) を吹き込むと言う思考を同時に行うと身体がとても新鮮に感じられます新鮮に感じる、これは「 感情...

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心の因数分解 「 強い意志 」

心の因数分解  1 雲巌 ( Ungan ) 禅師は誓いを立て横になって眠る事はなかったその強さの分析です普段、心は意志・思考・感情がごじゃまぜで一つになってる感、大いにあります心を、意志・思考・感情三つに因数分解してみますその中の意志です強い意志とは、どのようなものでしょう ?雲巌 ( Ungan ) 禅師の意志は今後、横になって休まずですこれは責任の全うや希望の成就じゃなく身体に悪いんじゃないですか? な身体の「...

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お疲れ様です!6月22日 月曜日如何お過ごしのことでしょうか今週も一週間ご健勝であられますようこころよりお祈り致しておりますッ!....

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行 持  「 わきを席につけず  2 」

行 持   33 )「 四十年わきを席につけず、一味参究す 」40年間、横にならなかった心身を、どのように運用なされたか?大いに興味がわきます普段、何となくな自分それが三つに分かれたと推測されます誓いを立てられた ( 意思 )そして坐禅をなされたわけですが垂直と水平と言う幾何学的純粋 ( 思考 ) は常に発動なされてるさらに、死をも覚悟なされてたとすると身体への執着はなかった思われますその時の ( 感情 ) を察する...

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行 持  「 わきを席につけず  1 」

行 持   32 )雲巌和尚( Ungan )と道吾とおなじく薬山に参学して共にに誓いをたてて四十年わきを席につけず、一味参究す法を洞山の悟本大師に伝付す洞山いはく「 われ一片に打成せんと欲して  坐禅辨道すること已に二十年なり  」いまその道、あまねく伝付せり雲巌曇晟( Ungan Donzyo )和尚と道吾円智和尚は共に薬山惟厳( Igen )禅師に師事しました誓いを立て、四十年間身を横にする事はありませんでしたそして、法を...

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行 持  「 懈惓せず 」

行 持   31 )普請作務(FusinSamu)のところに、かならず先赴す老にいたりて懈惓(Kegen) せずいまの臨済は江西の流なり江西の馬祖道一(Vaso Dōitu)禅師は木々のお手入れや道場のお掃除などみんなでなされる作業にはいつも率先して参加なされたそれは老僧になっても、変わる事はなかった今の臨済宗は、この馬祖道一禅師の一門です懈惓(Kegen) せず悟ったら、楽勝のんびり !じゃないんですか それじゃ、働き過ぎじゃな...

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行 持  「 密 印 」

行 持   30 )江西馬祖の坐禅することは二十年なりこれ南嶽の密印を稟受するなり伝法済人のとき坐禅をさしおくと道取せず参学のはじめていたるにはかならず心印を密受せしむ江西の馬祖道一(Vaso Dōitu)禅師は20年にわたり、坐禅をなされてたこれは、南嶽懐譲(Nangaku Ezyō)禅師から授かった坐禅とよばれる 「 心印 」 でした印とは、印鑑(はんこ) の印心の印鑑とは、どう言う意味でしょうか印鑑は、昨日押しても今日押...

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この身を十字にかける 10

この身を十字にかける 10六祖慧能( eno )禅師は、石臼でお米をつく行を続けられたその実際を見る事が出来れば力強く、大事に、神妙にそれらの言葉が、生きた実体として魔法のように、そこに感じられたそう推測されますお話しは転じて手を身体の前で合わせる法界定印ですこの手の組み方の一方の端は、両手の親指の合わせ一方の端は、背中肩甲骨の合わせです力強く、大事に、神妙にこれらは、何かをするからそうしようとして、そ...

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行 持  「 石 臼 」

行 持   29 )得法已後なほ石臼( isiusu ) をおひありきて米をつくこと八年なり出世度人説法するにもこの石臼をさしおかず、希世の行持なり六祖慧能( eno )禅師は、弘忍禅師より正法を継がれた後も石臼でお米をつく行を続けられたそれは八年に及び人々の説法なされる時でもその行を続けられた----------------------------墨を、静かにすって少しづつ心を鎮めて行く心を強く優しく、おにぎりを握る信じられない筆ペンで書...

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行 持  「 夜半に衣鉢を正伝す 」

行 持   28 )黄梅の会に投じて八箇月ねぶらずやすまず昼夜に米をつく夜半に衣鉢を正伝す六祖慧能( eno )禅師は、黄梅山弘忍禅師のもとに参じます八ヵ月間不眠不休昼夜にお米をつかれたそして、夜半に弘忍禅師から衣鉢を受け正法を継がれた------------------------早暁、三時頃に起きて一仕事して、また床に戻ります目はすっかり覚めてます手を法界定印に組み背中の肩甲骨をよせるのと両手親指の合わせとで綱引きして休んで...

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お疲れ様です!6月16日 火曜日如何お過ごしのことでしょうか ?昨日は、一週間 Startォ!のご挨拶が出来ず申し訳ございませんでした ・・改めてっ!今週も一週間ッ!ご健勝であられん事心よりお祈りいたしております!....

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行 持 「 新州の樵夫なり 」

行 持   27 )六祖は新州の樵夫なり有識と称しがたしいとけなくして父を喪す老母に養育せられて長ぜり樵夫の業を養母の活計とす十字の街頭にして一句の聞経よりのちたちまちに老母をすてて大法をたづぬこれ奇代の大器なり、抜群の弁道なり断臂たとひ容易なりともこの割愛は大難なるべしこの棄恩はかろかるべからず禅宗で六祖と呼ばれている大鑑慧能(Daikan eno)禅師仏道参入の前は新州で樵(きこり)をなさってた学問との縁...

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恐怖とその克服

この身を十字にかける 9不注意で刃物で手を切っちゃった即っ!しゅんとなります坐禅修行も威儀を正せば、即っ!しゅんとなるそうなると、次の展望が開けて来ますぞっとする、血が引くけど身は十字でかためててその怖さに対峙できる恐怖と、その克服と言う両極が対峙する大腰筋の張りそれで作る縦の矢そして、肩甲骨と手組みでつくる横の張り、横の矢この身を貫通する十字ってぞっとする、身に刺さる二本の矢同時にその恐怖を克服...

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行 持  「 無主の形骸 」

行 持   26 )無主の形骸いたづらに徧野せんとき眼睛をつくるがごとく正観すべしこの身も、主が去れば初冬山野の落ち葉のようにすぐに朽ちてゆきますこの事実を正確にイメージしてみるとても非日常な想定です普段、心身一体になって大騒ぎしてるんで私と言う主は、いずれこの身を去るだろうこの既定スケジュールはまったく忘れ去られています....

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行 持  「 斉肩なるべきなり 」

行 持   25 )壮齢耄及をかへりみることなかれ学道究弁を一志すべし脇尊者に斉肩なるべきなり塚間の一堆の塵土あながちに、をしむことなかれあながちに、かへりみることなかれ一志に度取せずばたれかたれをあはれまん若いとか、若くないとかそんな思いは無意味ですただ仏道一志脇尊者と共に歩いて行きましょう終には土に帰すこの身を惜しんでもどうにもならない自らが自らを済度しなければ誰があなたを救えるでしょうか....

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雑念は一瞬で消え失せます

この身を十字にかける 8お辞儀し戻して大腰筋を張る手組み法界定印で背中に横の張りをつくる単なる十字の image を筋肉の覚醒から実感できうるようにするそれから  ・・・ ?これに馴れてくると何か怪我した時例えば、刃物で手を切っちゃったその時、しゅんとなりますそれに似てくるまじいィ、出血するかな?とか是は「一超直入」即モードが変わります神妙になります、雑念は一瞬で消え失せますこれはフィクション創作行為です...

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行 持  「 学道の消息 」

行 持   24 )生来たとひいくばくの年月と覚知すともこれはしばらく人間の精魂の活計なり学道の消息にあらず幾つになった身体の変化を感じる時ここから年齢を感じる事がありますそれはそれそれが祖師方のスタンスです学道の消息は、生まれかわり死にかりりつつ続けゆくとこにある気が長いと言うか雄大哉です....

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行 持  「 至 愚 」

行 持   23 )いまの人あるいは五旬六旬におよび七旬八旬におよぶに弁道をさしおかんとするは至愚なり50代 60代あるいは70代 80代 になってもう真摯求道を諦めてしまう事はとても愚かなことですはい、道元禅師そして祖師方は悠久の時間の中で威儀求道をなされてる見渡してる時間のスパンそれが、そもそも違うのですね....

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行 持  「 生死に弁道するにはあらず 」

行 持   22 )弁道に生死をみるに相似せりと参学すべし生死に弁道するにはあらず悠久の中に生きてるその中に真摯神妙をなしてくその真摯神妙の中を生老病死、一生が去来してゆく生老病死、一生の中で真摯神妙をなすにあらずと....

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お疲れ様です!6月8日 月曜日如何お過ごしでしょうか?梅雨入り前のスカットお天気 あと少し哉今週も、ご健勝であられますよう!....

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行 持  「 弁道に生死をみる 」

行 持   21 )しかあれども時人の譏嫌をかへりみず誓願の一志不退なれば、わづかに三歳をふるに、弁道現成するなりたれか見賢思斉をゆるくせん年老耄及をうらむることなかれこの生しりがたし生か、生にあらざるか老か、老にあらざるか四見すでにおなじからず諸類の見おなじからずただ志気を専修にして弁道功夫すべきなり弁道に生死をみるに相似せりと参学すべし生死に弁道するにはあらずきょう尊者はまわりの誹りに屈せず一志...

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これが死因です

この身を十字にかける 7この身を十字にかけるこれを実感に即して描写するに二本の矢が、身を十字に貫く真上から真横から貫通の二矢を打たれ候でしょうか沢木興道老師の問いに海に突き落とされる、これと自ら、エイッ!と海へ飛び込むこれは同じ事か、別モノか?と言う問いがあります追い詰められなぶりころしにあう orこの身を十字にかけ「 これまで 」 とするこのキリストの断念を彷彿とする坐禅の本領ですが身を貫く 「 矢 ...

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行 持  「 処 胎 」

行 持   19 )しかあれば、脇尊者処胎六十年、はじめて出胎せり胎内の功夫なからんやんッ?赤ちゃんってどれ位お母さんのお腹にいるんだっけ ?きょう尊者は60年おられたとクイズ即答思考ですとまったくバカげたレポートですこれを現実に即して聞きますと600年でも6千年でも同じ事をレポートされてると言えます自己存在の核は受精受胎以前より存在してるこれは高校生レベルの普通の悟性で「 ありえるかも 」 と推測さ...

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お疲れ様です!6月3日 水曜日如何お過ごしでしょうか?一年間半ほどマンガン系リチウムイオン電池そのお仕事に関わって来ました少し進展がありそう本日はその打合せでした。....

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この身を十字にかける 6

無心、我をすてる自然天地と一つになる慈悲の心で接するこれらが禅の核心と紹介されていますしかし案山子この文言を言語として理解してもクイズには強くなるでしょうが日常普段生活にあまり変化は ?感じられません道元禅師のレポート通り禅の核心は、坐禅の姿にあるとそう推測されますそして坐禅と他瞑想との違いその一つが法界定印ですしかし経験のないものがいきなり弓道の弓を引けないように相撲の鍛錬未経験者が意気充実なし...

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お疲れ様です!6月1日 月曜日如何お過ごしでしょうか?水の月、始まりにけり今週今月もご健康ご健勝であられん事心よりお祈り致しております!....

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行 持  「 敬 仰 」

行 持   18 )それより後、ただ日も足らず経行(きんひん)宴坐し住立思惟す昼はすなわち理教を研習し夜は乃ち静慮凝神す三歳を綿歴するに、学は三蔵を通じ三界の欲を断じ、三明の智を得る時の人 敬仰して因みに脇尊者と号す敬意の念をもってきょう ( 脇 ) 尊者と称されたと現代人の目からすると四六時中、横にならなかったこれは、「 ちょっと変な人 」 これが正常な反応かと正法眼蔵、広くは禅一般釈尊のレポート全般、理解...

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プロフィール

佐々木正巳

Author:佐々木正巳
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「国際交流のための坐禅会」

(ご希望に合わせ随時開催・参加費無料)

2006 東京国立博物館(上野) にて開催
2006~2015 仙台国際センターにて毎月開催
2022 ~  仙台 国見にて随時開催



かつて馬祖 baso の会 e に参じてとふ
「 如何是仏 nyoga-zebutu 」と
馬祖いはく
「 即心是仏 sokusin-zebutu 」と
法常このことばをききて
言下大悟 gonka-taigo す




法常禅師 Ho-zyo zenzi が
馬祖 baso 禅師の坐禅道場で
静かにお坐りになられてる
傍目にそのお姿は、静止してて
水面静まりけり、死人のように見えます
その死んだ水面に、天地が語りかけます
陽光星辰は一瞬も滞らず、その歌を奏でます

法常禅師はある時
馬祖禅師にご質問なされた
「 仏とは、どのようなものですか 」

馬祖禅師が答えます
「 坐禅においては、心が仏となります 」






宮城県仙台市青葉区国見5-6-18
( 5-6-18 kunimi Aobaku Senndai )


仙台にお越しの折は
気軽にお寄り下さいませ

ご連絡先はコチラでした!
090-7325-5711



師 沼田 勇 先生 



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文章を通しての師

Rudolf Steiner 先生
Kōdō Sawaki
沢木 興道 老師 ( 曹洞宗 )










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