坐禅箴 「 宏智古仏なり 」
- 2020/01/20
- 08:06
坐禅箴 40)
宏智禅師の坐禅箴
かくのごとし諸代の老宿のなかに
いまだいまのごとくの坐禅箴あらず
諸方の臭皮袋、もしこの坐禅箴のごとく
道取せしめんに一生二生のちからをつくすとも
道取せんことうべからざるなり
いま諸方にみえず
ひとりこの箴のみあるなり
先師上堂のときよのつねにいはく
宏智古仏なり
自余の漢を恁麼いふこと
すべてなかりき
知人の眼目あらんとき
仏祖をも知音すべきなり
まことにしりぬ洞山に仏祖あることを

正法眼蔵第十二巻は
「坐禅箴(Zazen Sin)」でした
この令和の時代
800年900年前の古書
読み解く意味、在りやなしやです
姿勢、威儀を正す事( 坐禅の姿 )と
世界がどのように立ち現れるか
これはダイレクトにリンクしている
祖師方は実証観察から
この事実に立ち至ったと推測されます
只問題なのは、スマホなら
指先一本で世界が更新されますが
背筋一本立てる方は
何かぜんぜんパッとしないとこです
「 息をはき、身体前面を下る
腰腹の点に静まるをimageする
息を吸う時は、背面を上がるようにする 」
メンドクサイなぁ、です
そしてこの Mendokusaina の中
威儀の本領があるようにも思えます
上記「」の行法に意味があるのでなく
「Mendokusaina」をなす時
精神は神妙にならざるをえない
これが、Mendokusaina な威儀の真価ではないかと
軽言暴言、言ってしまうと
言葉は相手へ向けて放ったのに
冷たい荒れた世界は己に還って来ます
Mendokusaina は楽しくはないけど
神妙に姿勢や息に向き合うと
温か世界の予感があるような、な感じがします
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