FC2ブログ

記事一覧

海印三昧 「 功あり、これ絶気にあらず 」

海印三昧  37)万有なる前程後程その功あり、これ絶気にあらずいはゆる一盲引衆盲なり一盲引衆盲の道理はさらに一盲引一盲なり衆盲引衆盲なり衆盲引衆盲なるとき包含万有、包含于包含万有なりさらにいく大道にも万有にあらざるいまだその功夫現成せず、海印三昧なり正法眼蔵第十三巻「 海印三昧 (kai-in Zanmai) 」ラスト一節でした早朝静かに坐してみる色々頭重しでも腰腹中心に求心力 image すれば上から下への流れは確保出...

続きを読む

海印三昧 「 たとひ不絶気なりとも 」

海印三昧  36)万有たとひ死屍なりとも不宿の直須万年なるべし不著の這老僧一著子なるべし曹山の道すらく万有非其功絶気いはゆるは万有はたとひ絶気なりともたとひ不絶気なりとも不著なるべし死屍たとひ死屍なりとも万有に同参する行履あらんがごときは包含すべし、包含なるべし正法眼蔵第十三巻は「 海印三昧 (kai-in Zanmai) 」でした腰腹身体の中心へ加速度的に静寂化して行こう!日々この修練を続けてますが頭スッキリ、 と...

続きを読む

海印三昧 「包含は不宿なり 」

海印三昧  35)僧のいはく為什麼絶気者不著はあやまりて疑著の面目なりといふとも是什麼心行なるべし従来疑著這漢なるときは従来疑著這漢に相見するのみなり什麼処在に為什麼絶気者不著なり為什麼不宿死屍なり這頭にすなはち既是包含万有為什麼絶気者不著なりしるべし、包含は著にあらず包含は不宿なり正法眼蔵第十三巻は「 海印三昧 (kai-in Zanmai) 」でした一つ下の次元が見える私達が空間をご認識出来るとは3Dの「1次元...

続きを読む

海印三昧 「 多福一叢竹 」

海印三昧  34)たとへば多福一叢竹を道取するに一茎両茎曲なり三茎四茎斜なるも万有を錯失せしむる行履なりともなにとしてかいまだいはざる千曲万曲なりとなにとしてかいはざる千叢万叢なりと一叢の竹、かくのごとくある道理わすれざるべし曹山の包含万有の道著すなはちなほこれ万有なり正法眼蔵 第十三巻 は「 海印三昧 ( kai-in Zanmai ) 」 でした平面上・空間上に「 一 」をイメージしますとどうしても一円相になっちゃう...

続きを読む

海印三昧 「 海面みえざれども 」

海印三昧  33)仏性海といひ毘盧蔵海といふただこれ万有なり海面みえざれども遊泳の行履に疑著することなし正法眼蔵第十三巻は「 海印三昧 (kai-in Zanmai) 」でした万有の image円相を描き、そこに all を見るそれはおかしいそれでは部分になっちゃう円相の中にいて、端 ( 円相 ) が消えた時、それに似たりとなる文章にしますとこうですが静かに坐しこれを Simulation するととても変な感じがします「 海面みえざれども 」どっ...

続きを読む

海印三昧 「 錯 認 」

海印三昧  31)包含万有を道著するは大海なるのみなりなにものとしれるにあらざれどもしばらく万有なり仏面仏祖と相見することもしばらく万有を錯認するなり正法眼蔵第十三巻は「 海印三昧 (kai-in Zanmai) 」でしたお外へ向けし「 囲い込み 」それがそのままおのが内面の囲い込みに変異しちゃうおのが内面を幽閉しちゃう「 仏面仏祖 」「 包含万有 」も例外に非ずでしょうか世界を広げようとする試みがますますの偏狭幽閉をも...

続きを読む

海印三昧 「 しれるにあられども 」

海印三昧  30)包含万有を道著するは大海なるのみなりなにものとしれるにあらざれどもしばらく万有なり正法眼蔵第十三巻は、「 海印三昧 (kai-in Zanmai) 」イメージ Simulation でした今戦国時代 or 現在紛争国にいて捕虜となり二畳の独房にありめげない方策、有りや無しや?ご参考は、メダカさん小さな水槽おられても悠々たるは、なに故でしょうか円 A の囲い込み意識お持ちになられてない円 A は、万有ゆえに万有ならば ...

続きを読む

海印三昧 「 包含万有 」

海印三昧  29)師いはく包含万有は海を道著するなり宗旨の道得するところは阿誰なる一物の万有を包含するとはいはず包含、万有なり大海の万有を包含するといふにあらず正法眼蔵第十三巻は「 海印三昧 (kai-in Zanmai) 」でしたこの一節は、幾何学・数学頭の体操のよう円 A ( 海 ) がすべてを包含している一見ちゃんとした文章ですしかし落ち着いて見るとそう述べられた観察者は何処におられるのか?円 A ( 海 ) のお外におら...

続きを読む

お疲れ様です!1月27日 月曜日如何お過ごしでしょうか?この時期、夜お外にでますとそれはそれは星々さわやかお空を行きにけり一月もはやラスト一週温かくなされて日々ご健康ご健勝であられんことこころよりお祈り申し上げます 。....

続きを読む

海印三昧 「 死 屍 」

海印三昧  28)死屍といふはすべて人々いまだみざるものなりこのゆえにしらざるなり正法眼蔵第十三巻は「 海印三昧 (kai-in Zanmai) 」でしたラファエロ ( Raffaello 1483-1520 )は、真面目な方だったと思われます現実は時間をお持ちなのに現実には存在しない「 止めたもの 」人々が見続ける事は悪しき事ではないだろうか「 止めたもの 」の中に時間と永遠吹き込まねばならない ・・判断もまた状況は移り行くゆえさっきの判断...

続きを読む

海印三昧  「 幾度か春に逢う 」

海印三昧  27)死屍は死灰なり幾度か春に逢うも心を変ぜずなり正法眼蔵第十三巻は「 海印三昧 (kai-in Zanmai) 」でした現実 ( 四季のうつろい ) は新鮮で活気に満ちてる宿 ( omoi に囚われる ) にいい事ないのに生活する上では思考・感情・意志 を 安定化せねばは、致し方なしですでも、現実は動画なので動画の方から見れば静止画 ( 判断 ) は、死屍 Sisi 死灰 Sihai なりと映るは必然ですSisi なる「 判断 」と新鮮なる感受...

続きを読む

海印三昧 「 不 宿 」

海印三昧  26)不宿死屍といふは不宿は明頭来明頭打暗頭来暗頭打なるべし死屍は死灰なり幾度か春に逢うも心を変ぜずなり正法眼蔵第十三巻は「 海印三昧 (kai-in Zanmai) 」でした不宿、Yadorazu実際は、やどっちゃう[ 宿 ] の問題点はと言うと☆ 固定観の諸弊害  ( 特に人間関係 )☆ 頭がおもく、楽しくない☆ 息詰まった感じ宿 ( omoi に囚われる )をコントロール出来ればノーベル平和賞×1,000 個分に匹敵かも知れません....

続きを読む

海印三昧 「 衆法は合成なるべし 」

海印三昧  25)この曹山は雲居の兄弟なり洞山の宗旨このところに正的なりいま承教有言といふは仏祖の正教なり凡聖の教にあらず附仏法の小教にあらず大海不宿死屍いはゆる大海は内海・外海等にあらず八海等にはあらざるべしこれらは学人のうたがふところにあらず海にあらざるを海と認ずるのみにあらず海なるを海と認ずるなりたとひ海と強為すとも大海といふべからざるなり大海はかならずしも八功徳水の重淵にあらず大海はかなら...

続きを読む

海印三昧   「 不 著 」

海印三昧  24)曹山元証大師、因みに僧問ふ承るに教に言へること有り大海死屍を宿せずと如何なるか是れ海師云く、万有を包含す僧云く、なにとしてか死屍を宿せざる師云く、絶気者は不著なり僧云く、既に是れ包含万有なにとしてか絶気者不著なる師云く、万有其の功非ずして、絶気なり正法眼蔵第十三巻は「 海印三昧 (kai-in Zanmai) 」でした色々あっても日々ご健康ご健勝が何よりです& 美しいもの崇高なものをすごいなぁ!と...

続きを読む

海印三昧 「 心印 」

海印三昧  23)東西南北に不居なりといへども満船空しく月明を載せて帰るなりこの実帰は便帰来なりたれかこれを滞水の行履なりといはんただ仏道の剤限に現成するのみなりこれを印水の印とすさらに道取す、印空の印なりさらに道取す、印泥の印なり印水の印かならずしも印海の印にはあらず向上さらに印海の印なるべしこれを海印といひ、水印といひ泥印といひ、心印といふなり心印を単伝して印水し、印泥し、印空するなり正法眼蔵...

続きを読む

海印三昧 「 直下垂なること 」

海印三昧  21)不言我起なるがゆえに我於海中なり前面も一波纔動万波随なる常宣説なり後面も万波纔動一波随の妙法蓮華経なりたとひ千尺万尺の糸綸を巻舒せしむともうらむらくはこれ直下垂なることを正法眼蔵第十三巻は「 海印三昧 (kai-in Zanmai) 」でした大腰筋の張りから鳩尾→腰腹へと鎮まって行くこれって内面に既存継続な印象・記憶の Wiper 作業でしょうかその場所が頭部でなくなぜ、鳩尾から下でピラミッド形なのか? ...

続きを読む

海印三昧 「 模枕子 」

海印三昧  20)是即の修証はなきにあらず只此不染汚名為海印三昧なり三昧は現成なり、道得なり背手模枕子の夜間なり夜間かくのごとく背手模枕子なる模枕子は億々万劫のみにあらず我於海中、唯常宣説妙法華経なり正法眼蔵第十三巻は「 海印三昧 (kai-in Zanmai) 」でした風姿花伝風の姿を花が伝える風姿波伝、風姿海伝波は刻一刻砕け散るなり動画から静止画取り出し眺め続けたいのが人情でしょうか静止画は明瞭で静止画側 から動...

続きを読む

海印三昧  「 不相対待 」

海印三昧  19)従来の起処に忽然として滅すとも起の滅にあらず、法の滅なり法の滅なるがゆえに不相対待なりたとひ滅の是即にもあれたとひ起の是即にもあれ但以海印三昧、名為衆法なり是即の修証はなきにあらず只此不染汚、名為海印三昧なり正法眼蔵第十三巻は「 海印三昧 (kai-in Zanmai) 」でした生まれては消え消えては生まれる止まることなし滞る事なし道元禅師は海路中国へ渡り、そして帰られたのでその悠久の営みを「 海印...

続きを読む

坐り方の工夫 「 実践活用 」

坐り方の工夫 77腰腹の「 点 」 へ向け加速度的に 静寂化 して行くその実際は、真下へ向け弓を張り、放つ が如しでした弓張りは鳩尾の伸ばし、と明確方向は真下と、これまた明確です明確 〃 で普段の生活に実践活用可でした....

続きを読む

坐り方の工夫 「 弓を張る 」

坐り方の工夫 76腰腹の「 点 」 へ向け加速度的に静寂化して行くまったくもって???ですそれゆえこれをimage のみで行うは無理なので先日からこの工夫でしたその実際は、真下へ向け弓を張り、矢を放つが如しです....

続きを読む

海印三昧 「 意を挙すれば 」

海印三昧  18)法の起なるゆえに不対待相なりまた滅と滅と相待するにあらず相対するにあらず滅も初中後滅なり相逢ふては拈出せず意を挙すれば便ち有ることを知るなり正法眼蔵第十三巻は「 海印三昧 (kai-in Zanmai) 」でした普通にみる風景元気な時みる景色落ち込んだ時みる風景同じ景色なのに違うのは何故?[ 意を挙すれば ] したら、こう見えますそれが祖師方の Report でしょうか[ 意を挙すれば ]威儀を正し、気が腰腹に静...

続きを読む

海印三昧  「 法の起なり 」

海印三昧  17)滅を初中後に相待するにあらず相対するにあらず従来の滅処に忽然として起法すとも滅の起にはあらず、法の起なり正法眼蔵第十三巻は「 海印三昧 (kai-in Zanmai) 」でした[ 滅を相待す ]なくなればいいのにいなくなってほしいそんな思い去来する時があります健全なる精神ではないですね[ 滅の起にはあらず、法の起なり ]冷静になれば自他共に大河を悠然と流れ行く友哉....

続きを読む

海印三昧 「 車馬を通ず 」

海印三昧  16)おほよそ滅は仏祖の功徳なりいま不相対と道取あり不相待と道取あるはしるべし、起は初中後起なり官には針を容れず、私に車馬を通ずなり正法眼蔵第十三巻は「 海印三昧 (kai-in Zanmai) 」でした現場を先輩がいつまでも仕切ってたら次の世代は育たないでしょうかおんちゃんは潔く席を譲る「 滅 」 も徳目の一つ哉....

続きを読む

海印三昧 「 是れまた不足なり 」

海印三昧  15)滅の四大五薀を手眼とせる拈あり収あり滅の四大五薀を行程とせる進歩あり相見ありこのとき、通身是手眼是れまた不足なり遍身是手眼是れまた不足なり正法眼蔵第十三巻は「 海印三昧 (kai-in Zanmai) 」でした四大五薀とは己を含めた森羅万象流れ行く様でしょうか加速度的に静寂化しようこれを実践しますと「 己なりけり軒の玉水 」一滴の水滴に天空が映ってる普段はその内容しか感じないけど映ってる内容の他に映...

続きを読む

海印三昧 「 不相待 」

海印三昧  14)不相待は為法なり不相対は法為なり不相対ならしめ不相待ならしむるは八九成の道得なり正法眼蔵第十三巻は「 海印三昧 (kai-in Zanmai) 」でした期待する事もなく関わる(対する)事もないあっさりした御人格であられるこの方はちょっとおとぼけ系なんでしょうか?祖師方は、おばかさんとはとても思えずです期待しようがしまいが関わる関わらずに関係なく悠久の大河は流れけりそれを観察確信したゆえのその御人格で...

続きを読む

海印三昧 「 同死の不言 」

海印三昧  13)滅の我なる時節に不言なると起の我なる時節に不言なるとは不言の同生ありとも同死の不言にはあらざるべしすでに前法の滅なり、後法の滅なり法の前念なり、法の後念なり為法の前後法なり、為法の前後念なり正法眼蔵第十三巻は「 海印三昧 (kai-in Zanmai) 」でした身体の死は身体の死であって私達の心魂の一部は継続して行くそう、述べられても ・・・ 思想宗教としては理解出来ますがでしょうか祖師方はその不...

続きを読む

海印三昧  「 許多手眼 」

海印三昧  12)いはゆる無上大涅槃なりいはゆる之を死といふなりいはゆる執して断と為すなりいはゆる所住と為すなりいはゆるかくのごとくの許多手眼しかしながら滅の功徳なり正法眼蔵第十三巻は「 海印三昧 (kai-in Zanmai) 」でしたA(誕生)→B(死)人生のこの両端は理解出来ます次に、A以前B以後これは ??? です身体の限界(死)を超えても心魂あるいは精神の一部は継続して行くこの不死は、在りや無しやこれは思想や信仰...

続きを読む

海印三昧 「 前念後念 」

海印三昧  11)前念後念あるは、みな汝なるべし吾もかくのごとし、といふたれか吾にあらざらん前念後念は、みな吾なるがゆえにこの滅に多般の手眼を荘厳せり正法眼蔵第十三巻は「 海印三昧 (kai-in Zanmai) 」でしたスマホもPCも何かが映ってるとこ見ててディスプレイそれ自体、意識する事は稀です内面も「 前念後念 」移り行く外界の反映が流れてて意識されしは映された内容のみです川面の移り行く四季の風景その下に悠久の...

続きを読む

海印三昧 「 客 塵 」

海印三昧  10)法なるゆえに客塵にあらず客塵にあらざるゆえに、不染汚なりただこの不染汚すなはち諸仏諸祖なり汝もかくのごとし、といふたれか汝にあらざらん正法眼蔵第十三巻は「 海印三昧 (kai-in Zanmai) 」でした[ 客塵にあらず ]他人事でない、の意味でしょうか森羅万象の生起と消滅それが自分事とは ・・静かに坐する時、感覚内面は外界の反映だと感じられます....

続きを読む

海印三昧 「 不言我滅 」

海印三昧  9)此の法滅する時我滅すると言はずまさしく不言我滅のときはこれ此法滅時なり、滅は法の滅なり滅なりといへども、法なるべし正法眼蔵第十三巻は「 海印三昧 (kai-in Zanmai) 」でした「 此の法滅する時 」この [ 法 ] は法律のそれでなく出来事・ものこと・出会い存在全般の意でしょうかいろいろ失くすものがありますスマホ失くしたら困ります身近な人との別れはもっときついしそれでも「 我滅すると言はず 」普通は...

続きを読む

海印三昧 「 是誰起滅 」

海印三昧  8 )是れ誰が起滅ぞなり是誰起滅は応以此身得度者なり即現此身なり、而為説法なり過去心不可得なり、汝得吾髄なり汝得吾骨なり、是誰起滅なるゆえに正法眼蔵第十三巻は「 海印三昧 (kai-in Zanmai) 」でした相手の喜びや悲しみ aruiwa 森羅万象の起滅を「 此身 」我が内に感じる自分の心情の Up & Down それで一杯 〃 なのにどうして出来るんでしょう一つの仮説は祖師方は強固な姿勢 ( 威儀 )おとりになられてる今の...

続きを読む

海印三昧 「 火 起 」

海印三昧  7)古仏いはく、忽然火起この起の相待にあらざるを火起と道取するなり古仏いはく、起滅不停の時如何しかあれば、起滅は我々起我々滅なるに不停なりこの不停の道取かれに一任してはんけんすべしこの起滅不停時を仏祖の命脈として断続せしむ正法眼蔵第十三巻は「 海印三昧 (kai-in Zanmai) 」でしたA点 ( その方 ) B点 ( 私 )立ってる場所は違うのに深い悲しみ aruiwa とても楽しきその方の内面を、我が内に感じる物...

続きを読む

海印三昧 「 合成の起 」

海印三昧  6)すでにこれ時なる起なり皮肉骨髄を独露せしめずといふことなし起すなはち合成の起なるがゆえに起の此身なる、起の我起なる但以衆法なり声色と見聞するのみにあらず我起なる衆法なり、不言なる我起なり不言は不道にはあらず道得は言得にあらざるがゆえに起時は此法なり、十二時にあらず此法は起時なり、三界の競起にあらず正法眼蔵第十三巻は「 海印三昧 (kai-in Zanmai) 」でした上記一節も、何の事やらです身中に...

続きを読む

海印三昧 「 不言我起 」

海印三昧  5)起時唯法起この法起かつて起をのこすにあらずこのゆえに、起は知覚にあらず知見にあらずこれを不言我起といふ我起を不言するに別人は此法起と見聞覚知し思量分別するにあらずさらに向上の相見のときまさに相見の落便宜あるなり起はかならず時節到来なり時は起なるがゆえにいかならんかこれ起なる、起也なるべし正法眼蔵第十三巻は「 海印三昧 (kai-in Zanmai) 」でした身中に、Dynamic さ感得出来ればこの身に森羅...

続きを読む

海印三昧 「合成此身 」

海印三昧  4)いはんやいまの道は本覚を前途にもとむるにあらず始覚を証中に拈来するにあらずおほよそ本覚等を現成せしむるは仏祖の功徳なりといへども始覚・本覚等の諸覚を仏祖とせるにはあらざるなり。いはゆる海印三昧の時節はすなはち但以衆法の時節なり但以衆法の道得なりこのときを合成此身といふ衆法合成せる一合相すなはち此身なり此身を一合相とせるにあらず衆法合成なり合成此身を此身と道得せるなり正法眼蔵第十三巻...

続きを読む

海印三昧 「 一句偈に証入するなり 」

海印三昧  3)この仏道くはしく参学功夫すべし道入証はかならずしも多聞によらず多語によらざるなり多聞の広学は、さらに四句に得道し恒沙の遍学つひに一句偈に証入するなり正法眼蔵第十三巻は「 海印三昧 (kai-in Zanmai) 」でした森羅万象をA4 Report にまとめようさらにそれを一つの数式で表現しようこれを 建築 ( 姿勢 ) と音楽 (息 ) から行うそれが、祖師方の坐禅でしょうか....

続きを読む

海印三昧 「 衆法を以て此身を合成す 」

海印三昧  2)仏言はく但衆法を以て此身を合成す起時は唯法の起なり滅時は唯法の滅なり此の法起る時、我起ると言はず此の法滅する時、我滅すと言はず前念後念、念々不相待なり前法後法、法々不相対なり是れを即ち名づけて海印三昧とす正法眼蔵第十三巻は「 海印三昧 (kai-in Zanmai) 」でした威儀を正す立っても椅子に腰かけても威儀は正せるのでは?坐禅に固執する意味、これ如何この疑問、確かにィですそこで改めて、坐禅の坐...

続きを読む

海印三昧 「 深々海底行なり 」

海印三昧  1)諸仏諸祖とあるにかならず海印三昧なりこの三昧の遊泳に説時あり、証時あり、行時あり海上行の功徳、その徹底行ありこれを深々海底行なりと海上行するなり流浪生死を還源せしめんと願求する是什麼心行にはあらず従来の透関破節もとより諸仏諸祖の面々なりといへどもこれ海印三昧の朝宗なり正法眼蔵第十三巻は「 海印三昧 (kai-in Zanmai) 」でした「 息をはき、身体前面を下る  腰腹の点に静まるをimageする  ...

続きを読む

坐禅箴  「 これ単伝の正印なり 」

坐禅箴  41)いま、宏智禅師より後八十余年なりかの坐禅箴をみて、この坐禅箴を撰すいま仁治三年壬寅三月十八日なり今年より紹興二十七年十月八日にいたるまで前後を算数するに、わづかに八十五年なりいま撰する坐禅箴、これなり 坐禅箴 仏々の要機、祖々の機要 不思量にして現ず、不回互にして成ず 不思量にして現ず、其の現自ずから親なり 不回互にして成ず、其の成自ずから証なり 其の現自ずから親なり、曾て染汚無し...

続きを読む

お疲れ様ですっ!1月20日 月曜日如何お過ごしでしょうか?お日様がお元気な2020 大寒の日でしたこれからは日も長くなり日の光も、盛り返される事かと寒きも、今しばらくでしょうか御身体、温かくなされて日々ご健康ご健勝であられんことこころよりお祈り致しております....

続きを読む

坐禅箴 「 宏智古仏なり 」

坐禅箴  40)宏智禅師の坐禅箴かくのごとし諸代の老宿のなかにいまだいまのごとくの坐禅箴あらず諸方の臭皮袋、もしこの坐禅箴のごとく道取せしめんに一生二生のちからをつくすとも道取せんことうべからざるなりいま諸方にみえずひとりこの箴のみあるなり先師上堂のときよのつねにいはく宏智古仏なり自余の漢を恁麼いふことすべてなかりき知人の眼目あらんとき仏祖をも知音すべきなりまことにしりぬ洞山に仏祖あることを正法眼...

続きを読む

坐禅箴 「 足下無糸 」

坐禅箴  39)飛空の行履、はかるべきにあらず飛空は尽界なり、尽界飛空なるがゆえにこの飛、いくそばくといふことしらずといへども卜度のほかの道取を道取するに杳々と道取するなり直須足下無糸去なり空の飛去するとき、鳥も飛去するなり鳥の飛去するに、空も飛去するなり飛去を参究する道取にいはく只在這裏なり、これ兀々地の箴なりいく万程か只在這裏をきほひいふ正法眼蔵第十二巻は、「坐禅箴(Zazen Sin)」 でした直 tada ...

続きを読む

坐禅箴  「 空 闊 」

坐禅箴  38)空闊(ひろ)くして涯りなし鳥の飛ぶこと杳々なり空闊といふは天にかかれるにあらず天にかかれる空は闊空にあらずいはんや彼此に普遍なるは闊空にあらず隠顕に表裏なき、これを闊空といふ鳥もしこの空をとぶは、飛空の一法なり正法眼蔵第十二巻は、「坐禅箴(Zazen Sin)」 でした左右上下、そして奥行きの前後何気ない空間感覚です目にトラブルが起これば視覚に支障を来し耳にトラブルが起これば聴覚に支障を来すでし...

続きを読む

坐禅箴 「 魚行のごとし 」

坐禅箴  37)はかる岸なし、うかむ空なししづむそこなきがゆえに測度するたれなし測度を論ぜんとすれば徹底の清水のみなり坐禅の功徳、かの魚行のごとし千程万程、たれか卜度せん徹底の行程は、挙体の不行鳥道なり正法眼蔵第十二巻は、「坐禅箴(Zazen Sin)」 でした「 キリスト・イエスその象徴は初期 「 お魚 」 だった十字架をもってその象徴とするはそのあとになって、と読んだ事があります「 魚行のごとし 」お魚さんは...

続きを読む

坐禅箴  「 しづむそこなき 」

坐禅箴  36)魚もしこの水をゆくは行なきにあらず行はいく万程となくすすむといへども不測なり、不窮なりはかる岸なし、うかむ空なししづむそこなきがゆえに測度するたれなし正法眼蔵第十二巻は、「坐禅箴(Zazen Sin)」 でした拠り所を背景とするそれを通常の「我」とするならすべての拠り所が消えてもいや、拠り所が消えてこそ浮かび上がるのが深奥にまどろむ「 自我 」でしょうか普段は「人の四重奏」構造ゆえそれのみ意識す...

続きを読む

坐禅箴 「 辺際に涯岸なき 」

坐禅箴  35)水清んで底に徹って魚の行くこと遅々水清といふは空にかかれる水は清水に不徹底なりいはんや器界に泓澄する水清の水にあらず辺際に涯岸なきこれを徹底の清水とす正法眼蔵第十二巻は、「坐禅箴(Zazen Sin)」 でした透き通った水、それを見てるそれだけでも気持ちが清々しますちょっと野暮ですがその位置関係をimageしますと私がいて、水面があって、清水があってそんな位置関係でしょうか一方、この一節で描写され...

続きを読む

坐禅箴 「 無偶無取 」

坐禅箴  34)このゆえに無偶なり、このゆえに無取なりこれを奇なりと住持しきたり了なりと保任しきたるに、我却って疑著せりなり正法眼蔵第十二巻は、「坐禅箴 (Zazen Sin) 」 でした息が背筋を吐いて Down し 、吸って Up するこの威儀形成の中で何がなされているのだろう? という問いでした一人一人一名一名まったく違う時間空間の中御暮らしなされてる、そう推測されます世界( 内面 ) はどう形成されるのだろう?目耳鼻...

続きを読む

坐禅箴 「 旨外の宗 」

坐禅箴  33)目をあやしむことなかれ耳を信ずべからず直に旨外に宗を明らむべし言中に向かって則を取ること莫れなるは、照なり正法眼蔵第十二巻は、「坐禅箴(Zazen Sin)」 でした息が背筋を吐いて Down し 、吸って Up するこの威儀形成の中で何がなされているのだろう? と言う問いでしたRudolf Steiner 先生の 「 人の四重奏 」 構造自分であれ人様であれ4枚ガラスをかさね見なさってるあるいは、異なる4つの楽器の四重...

続きを読む

坐禅箴 「 毫忽の兆無し 」

坐禅箴  32)其の照自から妙なり曾て毫忽の兆無し毫忽といふは尽界なりしかあるに自妙なり、自照なりこのゆえにいまだ将来せざるがごとし正法眼蔵第十二巻は、「坐禅箴(Zazen Sin)」 でした「 音楽は,  静寂の中から生まれ  静寂の中へ帰って行く 」ピアニスト、アファナシエフさんには音楽はそのように自己を開示してくれる一方、宏智禅師においては息が背筋を Down (吐息) / Up (吸気) するこの威儀形成の中に静寂と生...

続きを読む

お疲れ様です!1月14日 火曜日如何お過ごしでしょうか?すぐ近所の、国宝「大崎八幡神社」今日は、「どんと祭」でした暖冬?とは申せまだまだ寒き日続きけり温かくなされて日々ご健康ご健勝であられんことこころよりお祈り致しております 。....

続きを読む

プロフィール

佐々木正巳

Author:佐々木正巳
青葉坐禅堂



宮城県仙台市青葉区国見5-6-18
( 5-6-18 kunimi Aobaku Senndai )

090-7325-5711 佐々木正巳 まで










.

最新記事

カテゴリ