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記事一覧

行 持  「 越ゆることなし 」

行 持   76 )演和尚あるときしめしていはく行は思を越ゆることなく思は行を越ゆることなしこの語おもくすべし日夜に之を思い朝夕に之を行ふべしいたづらに東西南北の風にふかるるがごとくなるべからず ( ある時、法演和尚は述べられました ( 日常生活や仕事と ( 威儀坐禅は、何が違うのでしょう ( 日常生活や仕事では ( 目的をはたす事が第一義と言えます ( 目的優先ですから ( 身形 ( 行 ) や 心 ( 思...

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行 持  「 耽 」

行 持   75 )耽道の人おほきことをよろこぶべしこの道こころにそむべしこの語みに銘ずべし ( 耽 tan 奥深いさま ( 白雲守端禅師の坐禅のなにが ( 多くの俊英方を、引きよせたのでしょう ( 白雲守端禅師は謙虚神妙 ( 身体で十字を切られた ( その切り方は ( 東西南北四線同時、中心へ落とす如しです ( 密々な心身の関係 ( それを十字中心から、換気なされたと言えます ( そのお人柄はやさしく ...

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行 持  「 雲衲霞袂 」

行 持   74 )つひにゆるさずしかあれども四海五湖の雲衲 unno 霞袂 kabeiこの会に掛錫するをねがふところとせり ( 白雲守端禅師は ( その教育的配慮から ( 坐禅堂の修築を ( ついに許しませんでした ( 雲衲、雲の衣 ( 霞袂、霞のたもと ( しかし、出身の活路を願う僧は ( 国中から ( 白雲守端禅師のもとに集まりました....

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行 持  「 古人樹下 」

行 持   73 )翌日に上堂して衆にしめしていはく楊岐 yogi はじめて住す屋壁おろそかなり満牀に尽く雪の珍珠をちらすうなじを縮却して暗に嗟嘘すかえっておもふ古人樹下に居せしことを ( 修築の話しがあった翌日 ( 白雲守端禅師は述べられました ( はじめて楊岐山に来た時 ( 屋根や壁はぼろぼろで ( 屋内なのに雪が舞っていました ( 悄然とため息がでたものです ( しかし古を思うと ( 祖師方は ( ...

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行 持  「 古来の勝躅 」

行 持   72 )古往の聖人おほく樹下露地に経行す古来の勝躅 syotyoku なり、履空の玄風なり ( 白雲守端禅師は続けて ( 聖人方のおおくは ( 樹の下や露地で御修行なされました ( 古の優れた事跡と言えます ( 身体に埋没することなく ( 身体から離れ、かつそばで尊ぶと言う ( 空の玄風のなせるわざですなんだち出家学道する做手脚 sa syu kyaku なほいまだおだやかならずわづかにこれ四五十歳なりたれかい...

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行 持  「 冬 暮 」

行 持   71 )五祖山の法演禅師いはく師翁はじめて楊岐 yogi に住せしとき老屋敗椽して風雨の弊はなはだし ( 五祖山の法演禅師が述べられました ( 師である白雲守端禅師が ( 始めて楊岐山に住した時のことです ( 屋根のたるきは腐って ( 風雨をしのぐことも出来ませんでしたときに冬暮なり殿堂ことごとく旧損せりそのなかに、僧堂ことにやぶれ雪霰満牀、居不遑処なり ( 冬の夕暮れ ( 殿堂皆いたんでまし...

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。。。。。。お疲れ様です!。。。。。。7月27日 月曜日。。。。。。如何お過ごしでしょうか?。。。。。。今週は西のほうから。。。。。。梅雨明けのたよりが届き。。。。。。来週には、仙台も明けることかと。。。。。。今週もご健康ご健勝であられますよう。。。。。。こころよりお祈り申し上げます 。....

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行 持  「 貪名愛利 」

行 持   70 )師の行持むかしいまの知識とあるはおなじくほむるところなり劣慧のものはほむべしとしらず貪名愛利のなかに仏法あらましと強為するは小量の愚見なり ( 法常禅師の行持を ( 古今の祖師方はみな ( 同じように褒めています ( 智慧が至らなければ ( 法常禅師の行が尊く ( 褒むべしものと理解出来ません ( 何故、理解出来ないのでしょう ( 名を貪り利を愛する ( その方向の真逆の端てに ...

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行 持  「 一虎一象 」

行 持   69 )生前には、一虎一象よのつねに給侍す、あひあらそはず師の円寂ののち、虎象いしをはこび泥をはこびて師の塔をつくるその塔、いま護聖寺に現存せり ( 生前、法常禅師のもとには ( 一頭の虎と一頭の象が仕えていました ( 互いに争うことはありませんでした ( この 「 一虎一象 」 は ( 「 付かず 」 と 「 離れず 」 を表しています ( 身体の中に埋没しない ( と言う身体からの離脱と ( こ...

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行 持  「 因 縁 」

行 持   68 )この因縁は人天みなしれるところなり天龍は師の神足なり俱胝は師の法孫なり高麗の迦智は師の法を伝持して本国の初祖なりいま高麗の諸師は、師の遠孫なり法常禅師は、即心是仏ここからインスピレーションを受けその御身体を聖十字・坐禅に捧げますその御姿は心は身体の外にあって、神仏を拝するようです心は身の傍らで、身の十字架を拝します法常禅師のもとから天龍和尚 俱胝和尚高麗に坐禅を伝えた迦智和尚と多く...

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行 持  「 任 他 」

行 持   67 )あるとき、馬祖ことさら僧をつかはしてとはしむ「 和尚そのかみ馬祖を参見せしに  得何道理、便住此山なる     」師いはく「 馬祖われにむかひていふ  即心是仏、すなはちこの山に住す 」僧いはく「 近日、仏法また別なり 」師いはく「 作麽生、別なる 」僧いはく「 馬祖いはく、非心非仏とあり 」師いはく「 這老漢、ひとを惑乱すること  了期あるべからず  任他非心非仏、我祗管即心是...

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行 持  「 深 居 」

行 持   66 )これよりのちになほ山奥へいらんとせしちなみに、有頌するにいはく一池の荷葉きるに尽くること無し数樹の松華、食するに余り有りかえって世人に住処を知られて更に茅舎を移して深居に入るつひに庵を山奥にうつす ( 斉安国師の遣いが来られてのち ( 法常禅師は、さらに山の奥へ居を移します ( 詩にこう述べられました ( 池の蓮の葉で、衣には困りません ( 松の実は、食べきれないほどあります (...

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行 持  「 寒林に倚る 」

行 持   65 )この僧、あやしむこころありかへりて塩官に挙似するに塩官いはくそのかみ江西にありしとき一僧を曾見すそれよりのち消息をしらず莫是此僧否 ( この僧には ( 法常禅師の事が ( 不思議に思われました ( 塩官に帰ってから ( 斉安国師に報告しました ( 馬祖道一禅師の下にいた時 ( ある僧に会ったことがあります ( あの僧ではないだろうか ( 斉安国師が述べられましたつひに僧に命じて師...

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行 持  「 出山路 」

行 持   64 )この僧またとふ「 出山路、向什麽処去 」師いはく 「 随流去 」 ( 道に迷った僧が尋ねます ( 「 山中迷ってしまいました (   どのように行けばいいでしょうか? 」 ( 法常禅師がお答えられます ( 「 水の流れに沿って行きなさい 」火・風・水・土これが起承転結を表現しているという、秘儀があります「 起 」 は事のはじまりです、そこから始まるある神霊が別の神霊を見上げていますな...

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行 持  「 随流去 」

行 持   63 )すなはちとふ「 和尚、この山に  住してよりこのかた多少時也 」師いはく「 只見四山青又黄 」この僧またとふ「 出山路、向什麽処去 」師いはく 「 随流去 」僧は尋ねますこの山に住して、どれくらいになるのですか ?法常禅師がお答えられます新緑が山を覆い紅葉が山々を染める、それを見てきました深山道に迷ったこの僧がまた尋ねます山を出るにはどのように行けばいいでしょうか?法常禅師がお答...

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行 持  「 不 期 」

行 持   62 )かくのごとくして年月を経歴するに塩官の会より一僧きたりて山にいりて拄杖 syuzyo をもとむるちなみに迷山路して、はからざるに師の庵所にいたる不期のなかに師をみる塩官には斉安国師がおられましたその道場の一僧が拄杖にする木を求め法常禅師がおられる慶元府の山中に入って行きます山中、道に迷いますが偶然、法常禅師の庵に行き着きます期せずしてこの僧は法常禅師にまみえることとなります....

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行 持  「 鉄塔一基 」

行 持   61 )師の坐禅には八寸の鉄塔一基を頂上におく如載宝冠なりこの塔を落地却せしめざらんと功夫すれば、ねぶらざるなり ( 法常禅師は ( 八寸の鉄塔を頭の上に置かれて ( その状態で坐禅をなされました ( まるで宝冠をかぶっているようです ( この塔を落とさないよう努めることで ( 眠る事はありませんでした[ 一寸 3cm × 8 = 24 cm ] その塔、いま本山にあり庫下に交割すかくのごとく弁道すること死に...

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行 持  「 三十余年 」

行 持   60 )坐禅弁道すること三十余年なり人事たえて見聞せず、年暦おほよそおぼえず四山青又黄のみをみるおもひやるは、あはれむべき風霜なり ( 法常禅師は ( 大梅山の草庵にて ( 三十年以上に余り ( 坐禅を中心とする生活をなされた ( 世間との交流はなく ( 年暦すら分からなくなりましたが ( みずみずしい新緑と ( 紅葉千色織りなす幾星辰の中 ( 法常禅師は、しみじみと ( その光・その音...

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行 持  「 草庵独居 」

行 持   59 )ちなみに大梅山の絶頂にのぼりて人倫に不群なり、草庵に独居す松実を食し、荷葉を衣とすかの山に小池あり、池に荷おほし ( 法常禅師は ( 大梅山の頂に草庵をつくります ( 人と交らず、一人そこに住します ( 松の実を食べ、蓮の葉を衣とします ( この大梅山には、小さな池がありました ( そこには蓮の花がたくさん咲いていました [ まるで御猿さんのような生活です [ 御猿さんとの違いは [...

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行 持  「 如何是仏 」

行 持   58 )大梅山は慶元府にありこの山に護聖寺を草創す法常禅師その本元なり禅師は襄陽人なり ( 大梅山は慶元府にあります ( ここに、護聖寺が建てられました ( 開かれた法常禅師は襄陽 zyōyō の方ですかつて馬祖の会に参じてとふ「 如何是仏 」 と馬祖いはく 「 即心是仏 」 と法常この言葉を聞きて言下大悟す ( 法常禅師はかつて ( 馬祖道一禅師の元に参じて問いました ( 仏とは、どのような意味です...

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行 持  「 徧界一叢林 」

行 持   57 )入之一叢林なり、出之一叢林なり鳥路一叢林なり、徧界一叢林なり ( 身で切る十字架、ここに ( 流動性のようなものが生まれます ( 横書いて縦書いて、二画ですが ( 東西南北の線が同時に ( 中央交差点に向け引かれる ( 一画の字のよう感じられます ( 身で十字を切ると ( 徧界[ 世界 ] から愛されてるよう感じます ( これは現実の ( 物理法則のようなもの ( 釈尊以降、キリスト・...

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行 持  「 鳥路一叢林 」

行 持   56 )入之一叢林なり、出之一叢林なり鳥路一叢林なり、徧界一叢林なり ( 身で切る十字架 ( 筋力でつくる縦線横線ですが ( 二線が直角に交差するよう ( こころがけますと ・ ・  ( 交差する交差点方向への ( 流動性のようなものが感じられます ( この流動性は二直線の ( 直角交差をイメージすると現れます ( 神妙に心を使わないと現れません ( 身で切る十字架は ( 鳥路のようですが...

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お疲れ様です!7月20日 月曜日如何お過ごしのことでしょうか?昨日は久方ぶりのお日様強き光哉、アッチィチィ! でした今週もご健康ご健勝であられますよう !心よりお祈り致しております !!....

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行 持  「 入之出之 」

行 持   55 )入之一叢林なり、出之一叢林なり鳥路一叢林なり、徧界一叢林なり ( お辞儀して、戻して ( 大腰筋を張って、縦線をつくる ( 手と前鋸筋と肩甲骨のよせで ( 水平線・横線をつくる ( 頑張ってます二力線を垂直に交差させる ( 死んだような木石十字架は ( 勇猛繊細な精神活動から出来ています ( 生きてる間に ( 手放すためには ( 死を経験するには ( 多手多大な生命力を要する (...

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行 持  「 一叢林 」

行 持   54 )入之一叢林なり、出之一叢林なり鳥路一叢林なり、徧界一叢林なり ( 静かに坐して身体で十字を切る ( 木石でできた十字架のよう ( そうなるよう心を運用します ( 木質化石化した古木の中を ( 新鮮な地下水が上がり下りするのは ( 不思議な光景です ( 死んだような木石十字架 ( この神仏社 yasiro の一叢林 ( この中にも不思議な光景が見てとれれます . ...

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行 持  「 寸 陰 」

行 持   53 )行持の寸陰を可惜許なりと参学すべし不語を空然なるとあやしむことなかれ  ( この身を木石とし ( 十字架に供したい ( この思いが起きたら ( 千載一遇のチャンスと言えます ( 威儀を正し ( 手を法界定印に組めば ( 直線の十字交差に沿って ( 身を差し出せます ( 直線の十字交差 ( これは理念であって ( 目には見えませんが ( 強靭な力を秘めた一つの思考と言えます ( 大...

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行 持  「 春風秋月 」

行 持   52 )十年五載の春風秋月しられざれども、声色透脱の道ありその道得、われに不知なりわれに不会なり ( 有無を言わさず、の死に似てる ( 有無を言わない、この身の供出 ( この身で木石十字架を建てる ( これを五年十年と続けてゆく ( 木石十字架の傍らで生きる ? ( 傍らではなくそのものずばり ( 木石十字架にかけられ ( 五年十年が経過してゆく ( 屋久島縄文杉が ( 百年千年の春風秋月...

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行 持  「 東西の風 」

行 持   51 )不離叢林の行持しづかに行持すべし東西の風に東西することなかれ ( 叢林 sōrin を離れない ( この叢林は特定施設の事でなく ( 身を供して十字架を建てる ( これを静に保持することです ( 威儀を正し、手を法界定印に定める ( この身十字を保持する ( 供された時、身は「 縁切り 」 されてる ( 風に誘われて触れる事があってはなりません....

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行 持  「 得恁麽 」

行 持   50 )不唖漢なるを得恁麽( toku inmo ) なりと聞かず得恁麽なりと知らざらんはあはれむべき自己なり ( 何も述べない ( 唯一これが正当な時があります ( 身体との決別 ( 私と身体の関係が脱落する時 ( 有無を言わさずで ( 是非をさしはさむは無意味です ( Inmo [ かくの如し ] の時とは ( 身体との関係が脱落する時 ( これは普通、死と呼ばれています ( それは今生の終着点にあって (...

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行 持  「 しらせざるなり 」

行 持   49 )至愚のみづからは不唖漢をしらず、不唖漢をしらせず阿誰か遮障せざれども、しらせざるなり ( 身体は十字架に供され ( 私は十字架の傍らに佇みます ( 私と身体の関係は脱落します  ( 愚の極みのように見えます ( 生か死か、有か無か ( そのような定義は意味を失います....

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行 持  「 不離叢林 」

行 持   48 )しかあれば行持の至妙は不離叢林なり不離叢林は脱落なる全語なり ( 叢林 ( 道場 ) を離れず ( 道場とは寺院や教会という ( 目に見える建築でなく ( この身で切る、十字架です ( 脱落とは、関係の脱落 ( 身を十字架に供する ( 私と身体の関係、それは脱落します   [ 深くて温かい静寂 [ 死の門の先に、それは実在してる [ この死は、外見上の死ではなく [ 私と身体の関係 [ この...

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行 持  「 不唖漢 」

行 持   47 )仏道かくのごとし仏道声をきかざらんは不語の不唖漢なる道理あるべからず ( 自らの意志で ( 身離れに馴れて行く ( これが仏道行持の中核と言えます ( 神仏の社 yasiro ( その建立の資材としてこの身を供する ( この身は社の木材石材となります ( 自分の恣意的運用を離れた時 ( この身は新たな環境を見出すはずです ( 身体が木材石材となった時 ( その身が耳にするのは暁の谿声山色...

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行 持  「 不離叢林 」

行 持   46 )これ行持をしめすなりしるべし、十年五載の不語おろかなるに相似せりといへども不離叢林のくふうによりて不語なりといへども唖漢にあらざらん ( 五年十年の坐禅の工夫 ( これは私達をどのように導くでしょうか ( 五年十年の 「 不語 」 ( 何も語らない、これは愚かさに似てます ( 一生、威儀行持を保持する ( この一生とは ( 時間の経緯を示すのではなく ( 既に行き着いてる最後である ...

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行 持  「 いかんともせじ 」

行 持   45 )あるとき、衆にしめしていはくなんじ若し一生叢林を離れず不語なること十年五載すとも人のなんじを喚んで唖漢と作すことなからん已後には諸仏もまたなんじをいかんともせじ ( 趙州従諗( Jūsin )禅師は述べられました ( 五年十年と何も語らず ( 一生涯威儀行持を保持して行く ( これを「 声を失くした者 」  ( と見るのは間違いです ( 後には諸仏でさえ ( その人を如何ともする事は出来ませ...

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行 持  「 上古龍象 」

 行 持   44 )四十年のあひだ世財をたくはへず常住に米穀なしあるいは栗子、椎子をひろうて食物にあつあるいは旋転飯食すまことに上古龍象の家風なり恋慕すべき操行なり  [ 趙州従諗禅師は [ 六十一歳より二十年間 [ その身を威儀坐禅に供します [ その後八十歳から百二十歳まで [ 趙州観音院に住し後進の指導にあたりました [ 禅師はその四十年の間 [ 「 畜え 」 という事をなさりませんでした [ 観音院...

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行 持  「 崇 重 」

行 持   43 )壮年にして軽爾ならんわれらなんぞ老年の崇重なるとひとしからんはげみて弁道行持すべきなり ( 趙州従諗( Jūsin )和尚 ( 探求の旅に出られしは ( 六十一歳の時です ( それから二十年間 ( その身を威儀坐禅に供します ( その身を神仏の社 yasiro 建立の建材としました ( そしてこの建材は生老病死 ( 死を免れぬものです ( 死の中に永遠を宿したと言えます ( 一方、神仏にとって死は...

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お疲れ様です!7月13日 月曜日如何お過ごしのことでしょうか?美しきその姫瓜や后ざね ...............................芭蕉今週も、ご健勝であられますよう !こころより、お祈り申し上げます !!....

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行 持  「 強 健 」

行 持   42 )いまだ正法正伝せざらん余人は師よりもかろかるべしいまだ八旬にいたらざらん余人は師よりも強健なるべし ( 希求憧れから ( 巡り巡りの心象表象を追い続けてる ( 満たされる事なさそうこの旅は ( 人は自由を有してる ( って教えてくれます ( 若くて強健ならその自由は ( どこまでも行使されるかのよう ( 渡り鳥のような自由があり ( 対極の自由として ( 自らは飛翔せず ( 自ら...

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行 持  「 古 仏 」

行 持   41 )趙州の趙州に住することは八旬よりのちなり、伝法よりこのかたなり正法正伝せり。諸人これを古仏といふ ( 趙州従諗( Jūsin )和尚は ( 八十歳になられてから ( 趙州観音院に住します ( この生身の身体で法隆寺を建立する ( 人が安寧神仏へと上昇するのではなく ( 自らを断念下降して木となり石となって ( 自らの身体を神仏を召喚する  ( 「 社 」 ( yasiro ) とする ( この方程式を体...

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行 持  「 焼断の燼木 」

行 持   40 )いまだかつて一封の書をもて檀那(ダンナ)につけず僧堂おほきならず、前架なし、後架なし ( 従諗( Jūsin )和尚は八十歳になられた後 ( 趙州観音院へ入られました ( 僧堂を構え運営して行くには ( 衣食住にわたり周りの支援を必要としますが ( 従諗( Jūsin )和尚は自ら ( それを求める事はしませんでした ( その僧堂は大きくなく ( 建築様式も整ってはいませんでしたあるとき牀脚をれき一...

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行 持  「 六十一歳なりしに 」

行 持   39 )趙州観音院 真際大師 従諗( Jūsin )和尚とし六十一歳なりしにはじめて発心求道をこころざす ( 趙州観音院の真際大師 従諗和尚は ( 六十一歳になった時 ( 発心求道の志をもちました瓶錫(ビョウシャク)をたづさへて行脚し遍歴諸方するに、つねにみづからいはく「七歳の童子なりとも、若し我よりも勝れば 我 即ちかれに問うべし 百歳の老翁なりとも、我に及ばざれば 我即ちかれを教うべし 」 ( 水瓶と...

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行 持  「 不参潙山道 」

行 持   38 )しるべし、一頭の水牯牛は二十年 在潙山の行持より牧得せりこの師かつて百丈の会下に参学しきたれり ( 知ることが出来ます ( 私がいて、そして ( 一頭の水牯牛のように私の身体がある ( 私と私の身体が対峙してる ( このような関係になれたのは ( 二十年に及ぶ潙山での坐禅修行のおかげです ( 師である潙山霊祐禅師は ( その師である百丈禅師からその事を学ばれましたしづかに二十年中の...

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行 持  「 終日露回回 」

行 持   38 )後大潙 ( i ) 和尚いはく「 我 二十年 潙山 ( Isan ) に在って  潙山の飯を喫し、潙山の屙 ( a ) を屙し  潙山の道に参ぜず  只一頭の水牯牛を牧得して、終日露回回なり 」 ( 後大潙和尚は、述べられました  私は二十年 潙山におりました  食しそして用を足していました  潙山禅師の道を、学んでいたのではありません  ただ一頭の水牛の面倒を見てました  終日、露 ( tuyu ) を振り返っていま...

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行 持  「 天厨送食 」

行 持   37 )三平山義忠禅師そのかみ天厨送食す大顚をみてのちに天神また師をもとむるに見ることあたはず ( 三平山の義忠禅師には以前  ( 天界の料理人が、お食事を提供してました ( 義忠禅師が大顚宝通禅師にお会いしてからは ( 天界の料理人が  義忠禅師に会うことは、なくなりました世界中には素晴らしい音楽があります世界を旅してコンサートを聴きに行ってたある時、常駐して下さる音楽家と出会いその方のために小...

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お疲れ様です!7月6日 月曜日如何お過ごしでしょうか?「 五月雨の降り残してや光堂 」今週もご健勝であられますよう!心よりお祈り申し上げます !....

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石女たって舞う 

・・・・・・木人まさに歌い ・・・・・・石女たって舞う   ・・・・・・情識の至るにあらず・・・・・・・・・・・・・「 宝鏡三昧 」・・・・・・・・・・・・・・洞山良介禅師作 ・・......・・・・・・・・・・・・・807~869 木造彫刻が、歌いだし石像の女神が舞いだす中国は唐の時代日本は平安時代に書かれた偈頌ですが「 ト イ・ス ト ー リ ー 」 ( ディズニー )みたいな映像描写です前世紀ならチャップリンのサイレン...

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波も引き 風もつながぬ

波も引き風もつながぬ捨て小舟月こそ夜半のさかりなりけり--------------道元禅師気づいたら小舟に乗ってて大海原を大航海です捨てられし小舟船団から離れて独りぼっちになっちゃったいろいろ不具合でてきてもう航海不能になっちゃったもはやこれまで、がっかりの極みですだめだこりゃ気軽になって見上げれば温かで涼しげなお月様こちら見て、微笑んでらっしゃる.....

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もはや、これまで 。

心の因数分解  5A と B どちらから「 もはや、これまで 。」 感、感じるでしょうかそれが禅僧の本領と推測されますがB からは、全然それを感じません何故そうなのか? の推論ですB の 「 もはや、これまで 。」 は過去を清算している、今を刷新してるそして、刷新ing の今の中で身を正す縦横垂線、聖十字をキープなされてる美しくかつ強固な構造線御本人がそれを保持しかつその美しさを感嘆なされてる...

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行 持  「 みることえず 」

行 持   36 )鏡清和尚、住院のとき土地神かつて師顔をみることえずたよりをえざるによりてなり ( 鏡清和尚が道場におこもりになり......その行を行われている時......その土地の神々は鏡清和尚を......見ることが出来ませんでした......その理解範囲の外におられたからです理解は出来なくてもそのお姿を見れば 「 すごいなぁ! 」感動は湧き上がって来たと、推測されます芸術作品や素晴らしい音楽耳にしますとそれを理解出来...

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プロフィール

佐々木正巳

Author:佐々木正巳
青葉坐禅堂



宮城県仙台市青葉区国見5-6-18
( 5-6-18 kunimi Aobaku Senndai )

090-7325-5711 佐々木正巳 まで










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