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坐禅箴  「 これ単伝の正印なり 」



坐禅箴  41)

いま、宏智禅師より後八十余年なり
かの坐禅箴をみて、この坐禅箴を撰す
いま仁治三年壬寅三月十八日なり
今年より紹興二十七年十月八日にいたるまで
前後を算数するに、わづかに八十五年なり
いま撰する坐禅箴、これなり



 坐禅箴

 仏々の要機、祖々の機要
 不思量にして現ず、不回互にして成ず

 不思量にして現ず、其の現自ずから親なり
 不回互にして成ず、其の成自ずから証なり

 其の現自ずから親なり、曾て染汚無し
 其の成自ずから証なり、曾て正偏無し
 曾て染汚無きの親、其の親無委にして脱落なり

 曾て正偏無きの証、其の証無図にして功夫なり
 水清んで徹地なり、魚行いて魚に似たり
 空闊透天なり、鳥飛んで鳥のごとし



宏智禅師の坐禅箴
それ道未是にあらざれども
さらにかくのごとく道取すべきなり
おほよそ仏祖の児孫、かならず
坐禅を一大事なりと参学すべし
これ単伝の正印なり



2020年01月19日06





正法眼蔵第十二巻は「坐禅箴(Zazen Sin)」
そのラスト一節でした



宏智禅師が書き残された
「 坐禅箴 」
この坐禅の要諦レポートを
道元禅師が解説なされた

作戦要諦に目を通したわけですが
その作戦実行の実務は
「 Mendokusaina !」 の一語に尽きます

すると、何がめんどくさいだろう?
と問いたくなります

姿勢を正す、息を制御す
これと、お仕事やスポーツの違い
それは外形上の動きが伴わない
そこでしょうか

たとえば編み物をなされてる
これは、身体( 手 ) の運用 5割
こころの運用 5割な感じがします
温かい方が編むと、温かい感じ伝わって来ます

姿勢を正す、息を制御す
コチラはどうでしょう
姿勢も息も身体活動ですが
姿は止まってるので
身体1割、こころ9割な感じがします

一応、身体活動ではありますが
こころの運用それが、最大限使用されてる

こころを最大限使用する
その実感が「 Mendokusaina 」
そんな感じに、感じるのかも知れません

すると、こころを最大限使用する
その意味ってあるんですか? そう続きます

威儀を正す、姿勢を正す、息を制御する
これって姿勢や息を大事にしてる、とも言えます

大事にする = 己の温かさを傾注する
でしょうか
大事にする、、結果的に自分も
その熱に温められるかも知れません

でもそれって
あなた( 私 ) 自身の熱ですよ
とも言えますが
対象( 姿勢威儀 ) なければ
その温かさは発揮しないだろう
たぶん

「 Mendokusaina 」って
冷たくなってたかも知れない
対象( 姿勢威儀 ) あればこそであり
静的ゆえに
こころの運用最大限に発揮できる
そんな温かさのスキームになってる

それゆえ、宏智禅師ほか祖師方は
坐禅の姿、威儀を正すをおすすめられた
のかも知れません









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