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お疲れ様です!8月31日 月曜日如何お過ごしでしょうか?仙台の夏はお盆が過ぎますとあれっ、もうおしまいッ!って残念感一杯なんですが今年はさにあらずでしたそのアッチィチィ! ももうおしまいかな? な月曜でした今週もご健勝であられますよう心よりお祈りいたしております!!....

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行 持  「 習 禅 」

正法眼蔵 行 持  下 「 習 禅 」石門の林間録に云く菩提達磨、初め梁より魏にゆく嵩山のふもとに経行 kin-hin し少林に倚杖 i-zyo す ( 石門の林間録によれば ( 菩提達磨大師は ( インドから梁の国へ渡り ( その後、魏の国へ赴いたと ( そして、嵩山 su-zan のふもと ( 少林寺に静謐坐禅の場をえたと面壁燕坐 menpeki-enza するのみなり習禅には非ず久しくして人 其の故を測ることなし因て達磨を以て習禅と為...

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行 持  「 正法眼蔵 」

正法眼蔵 行 持  下 「 正法眼蔵 」行 持 下  5 )西天と中華と土風はるかに勝劣せり方俗はるかに邪正あり大忍力の大慈にあらずよりは伝持法蔵の大聖むかふべき処在にあらず ( インドと中国では ( 風土にも習俗にも ( 大きな違いがあります ( インドから中国へ渡ろうなど ( たとえ法蔵伝持の聖者でも ( よほどの大忍慈悲心がなければ ( 思いも至りません住すべき道場なし、知人の人まれなりしばらく嵩...

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行 持  「 洛陽にいたりぬ 」

正法眼蔵 行 持  下 「 廓然無聖 」 帝曰く朕 ware に対する者は誰 ta そ 師曰く不識 hu-siki帝、領悟 ryo-go せず師、機の不契 hukei なるを知る ( 武帝が述べられます ( 師は、凡も聖もないと述べられましたが ( 師は、凡なのですか、聖なのですか ( 師がお答えになります ( 「 識りません 」 ( 武帝は師の言葉を理解出来ません ( 達磨大師も武帝とは ( 仏道の因縁が熟してないと知りますゆゑにこの...

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行 持   「 廓然無聖 」

正法眼蔵 行 持  下 「 廓然無聖 」 広州の刺史 si-si 蕭昂 syu-ko といふもの主礼をかざりて迎接したてまつるちなみに、表を修して武帝にきこゆる蕭昂が勤恪なり ( 広州の長官、蕭昂 syu-ko という人が ( 達磨大師をあつい礼をもって迎えます ( 達磨大師が ( インドからはるばる来られたことを ( 蕭昂は武帝に報告なされました ( 蕭昂は慎み深く真摯な方でした武帝すなはち奏を覧して欣悦して、使に詔をも...

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 「 王 宮 」

正法眼蔵 行 持  下 「 王 宮 」いづれの生縁か王宮にあらざらんいづれの王宮か道場をさへんこのゆゑに、かくのごとく西来せり ( どのような状況 ( どのようなカルマの嵐にあっても ( ここを王宮とする事が出来ます ( この王宮こそ私達が求める道場です ( これを伝えるため ( 菩提達磨大師は来られたのです救迷情の自己なるゆゑに驚疑なく、怖畏 hu-i せず救迷情の遍界なるゆゑに驚疑せず、怖畏なし ( 迷...

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行 持  「 嶮浪 ken-ro 」

正法眼蔵 行 持  下 「 嶮浪 ken-ro 」真丹初祖の西来東土は般若多羅尊者の教勅なり航海三載の霜華その風雪いたましきのみならんや雲煙いくかさなりの嶮浪 ken-ro なりとかせん ( 菩提達磨大師がインドから ( 中国に坐禅仏道を伝えられたは ( 菩提達磨大師の師である ( 般若多羅尊者の教勅によるものです ( 航海三年の月日は ( 厳しかったのレベルでなく ( 危険な波浪を超える旅だったと ( 察せられま...

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行 持  「 法 操 」

正法眼蔵 行 持  「 法 操 」授手の日くれなんとす打舂の夜あけなんとすあるいは師の普説するときはわが耳目なくしていたづらに見聞をへだつ耳目そなはるときは、師またときをはりぬ ( 宗匠のもとには ( 多くの求道者が集まり ( みな同じく指導をこいます ( とはいえ ( 一人一人十分に向き合えば ( 日は暮れてしまい ( うすでつくよう、鍛えんとすれば ( 夜が明けてしまいます ( 師が要諦を説明して...

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行 持  「 難 辨 」

正法眼蔵 行 持  「 難 辨 」いま有道の宗匠の会をのぞむに真実請参せんとするときそのたよりもとも難辨なりただ二十三十箇の皮袋にあらず百千人の面々なりおのおの実帰をもとむ ( 仏道の指導者を求め ( そこに参じたいと願う時 ( 簡単にはいかない、という現実があります ( そう願うものは ( 二十人三十人ばかりではなく ( 百人千人もおられるからです ( そしてみな 「 実帰 」 を求めています   ( 心...

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お疲れ様です!8月24日 月曜日如何お過ごしでしょうか?アッチィチィな毎日でしたゆっくりお休みになられ今週もご健康であられんこと心よりお祈りいたしておりますッ!!....

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行 持  「 露堂々 」

行 持  「 露堂々 」雪峰 se´po 真覚大師義存和尚かつて発心よりこのかた掛錫 ka-syaku の叢林 so-rin および行程の接待、みちはるかなりといへどもところをきらはず、日夜の坐禅おこたることなし雪峰草創の露堂々にいたるまでおこたらずして坐禅と同死す ( 雪峰山の真覚大師 ( 義存和尚は ( 道を求めようと発心して後 ( 叢林 so-rin での探求 ( そして日々の生活は ( 順風満帆であったとは言えません ( 道...

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行 持  「 波濤 hato 」

行 持  「 波濤 hato 」黄檗のむかしは捨衆 sya-syu して大安精舎の労侶に混迹して殿堂を掃灑 so-sai する行持あり ( 黄檗禅師のころ ( 僧堂を離れて ( 精舎を整備する方々と共に ( 伽藍を掃き清める行持がありました仏殿を掃灑し、法堂を掃灑す心を掃灑すると行持をまたずひかりを掃灑すると行持をまたず裴 hai 相国と相見せし、この時節なり ( 仏殿を掃き清め ( 法堂を掃き清めます ( 心を清めよう ( ...

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行 持  「 栽 樹 」

行 持  「 栽 樹 」臨済院慧照 e-syo 大師は黄檗 o-baku の嫡嗣 tekisi なり黄檗の会 e にありて三年なり純一に辨道するに睦州 boku-syu 陳尊宿の教訓によりて仏法の大意を黄檗にとふこと三番するにかさねて六十棒を喫す ( 臨済禅師 ~867 は ( 黄檗禅師 ~850 の法をつがれました ( 黄檗禅師に師事して三年  ( 睦州 boku-syu という方にうながされ ( 仏法の大意を三度  ( 黄檗禅師に尋ねられます ( しかし...

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行 持  「 礫 reki のほとばしりて 」

行 持  「 礫 reki のほとばしりて 」香厳 kyo-gen の智閑禅師は大潙 dai-i に耕道せしとき一句を道得せんとするに数番つひに道不得なり ( 香厳寺の智閑禅師( ~898) が ( 潙山霊祐 izan-reiyu 禅師 (771~853) に ( 師事なされていた時 ( 一句で、道を述べようと試みました ( でも、考えがまとまらず ( 一句で表わす事が出来ませんでしたこれをかなしみて書籍を火にやきて行粥飯僧となりて、年月を経歴しき ...

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行 持  「 無為絶学 」

行 持   104)寒爐 kanro に炭なくひとり虚堂にふせり涼夜に燭なく、ひとり明窓に坐するたとひ一知半解なくとも無為の絶学なり、これ行持なるべし ( 暖をとる炭もなく ( 一人質素な御堂に住み ( 涼しき夜、とる明かりもなく ( 月明かりの窓辺に坐しても ( 何の手応えも感じません ( しかし、これこそが ( karuma に翻弄されてないという ( 「 無為 」 の道に他なりません ( わずかな手応えも感じ...

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行 持  「 一器水瀉 sya 一器 」

行 持   103)南岳大慧 nan-gaku daie 禅師懐譲 ezyo 和尚そのかみ曹谿 sokei に参じて執侍すること十五秋なりしかうして伝道授業すること一器水瀉 sya 一器なることをえたり古先の行履 anri 、もとも慕古すべし ( 南嶽懐譲 禅師は ( nangaku ezyo 677-744 ( その昔、六祖の ( 大鑑慧能禅師に参じ ( 十五年間にわたり師事します、そして ( 「 一器の水を一器にそそぎ入れる 」 ( この大鑑慧能禅師の道 ...

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行 持  「 恩愛諸縁 」

行 持   102)仏祖も恩愛なきにあらずしかあれどもなげすてきたる仏祖も諸縁なきにあらずしかあれどもなげすてきたる。 ( 仏祖も恩愛を感じていました ( しかし、からまることはありません ( 仏祖も様々な諸縁を感じていました ( しかし、からまることはありませんたとひをしむとも自他の因縁をしまるべきにあらざるがゆゑにわれもし恩愛をなげすてずば恩愛かへりてわれをなげすつべき云為 uni あるなり ( た...

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行 持  「 怨 家 」

行 持   101 )光陰なにとしてかわが功夫をぬすむ一日をぬすむのみにあらず多劫の功徳をぬすむ光陰とわれと、なんの怨家ぞ ( 過ぎ去る月日は ( 私に恨みでもあるのでしょうか ( 一日の修行を盗み ( 永劫の功徳をも盗み去りますうらむべし、わが不修のしかあらしむるなるべしわれ、われとしたしからずわれ、われをうらむるなり ( しかし、移りゆく時間には ( そんな悪意はありません ( 私がちゃんと対さ...

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行 持  「 明 窓 」

行 持   100 )このゆゑにしりぬ、古来の仏祖いたづらに一日の功夫をつひやさざる儀、よのつねに観想すべし ( この一身は ( 二度と帰らぬ大事な今です ( さらに、 ( 森羅万象と言う名の古鏡 ( 天球の内面が ( すべてを反射しここへ光を集めます ( 一身は、この集光から形成されます ( 悠久の時をものともせず ( なした事なされた事は ( 返照 karuma として戻って来て ( 「 これが君なのだ ...

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お疲れ様です!8月17日 月曜日如何お過ごしでしょうか?お盆休みも過ぎ新しい一週間のスタートです今週もご健康ご健勝であられますよう!心よりお祈りいたしております!!....

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行 持  「 蹉 Sa (通り過ぎる) 」

行 持   99 )そのいたづらに蹉過するといふは名利の浮世に濁乱しゆくなりいたづらに蹉過せずといふは道にありながら、道のためにするなり ( この今、この今の身体を ( いたずらに通りすごしてしまう ( 何故そうなっちゃうの、です ( 浮遊する言葉 ( 浮遊する良しあしの幻影 ( それに「 重く翻弄されてしまう 」  ( 思考概念言葉は ( 現実を整理するため ( その道具だったはず ( 気付けば、道具...

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行 持  「 驪竜 ri-ryu の玉 」

行 持   98 )しづかにおもふべし驪珠 rizyu はもとめつべし尺璧はうることもあらん一生百歳のうちの一日はひとたびうしなはんふたたびうることなからんいづれの善巧方便ありてかすぎにし一日をふたたびかへしえたる紀事の書にしるさざるところなりもしいたづらにすごさざるは日月を皮袋に包含してもらさざるなり ( 熟考することが出来ます ( 驪竜 ri-ryu の玉 ( 黒い龍の、顎の下にある宝玉 ( この、一尺の宝玉を...

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行 持  「 決 了 」

行 持   97 )この一日の身命はたつとぶべき身命なりたつとぶべき形骸なりかるがゆゑにいけらんこと一日ならんは諸仏の機を会せばこの一日を曠劫 kogo 多生にもすぐれたるとするなり ( ca BC 3150、エジプトのナルメル王は ( エジプト文明・第一王朝を開かれます ( 王も、この一日の身命が ( どれだけ大事かよく承知なされてました ( それから幾星々の俊英方が ( 歴史を形成されて来ました ( その方々の...

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行 持  「 稟 受 」

行 持   96 )仏祖の面目骨髄、これ不去なり如去なり、如来なり不来なりといへどもかならず一日の行持に稟受 bonzyu するなり ( 坐禅の功徳により  ( 古鏡に反射された森羅万象が ( 私のカルマが、ここに集って来ます ( これが途切れる事はありません ( 来る如く、去る如く ( 来たように見え、去ったように見えます ( しかしそれらは ( 私自身なのですから ( 改めて来たわけではありません ( し...

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行 持  「 決 了 」

行 持   95 )古来の仏祖いひきたれることありいはゆる、もし人生けらんこと百歳ならんに諸仏の機を会せざらんは未だ生けらんこと一日にしてよく之を決了せんにはしかず ( 古来の仏祖方が ( 述べられて来た事があります ( 人が百年生きたとしても ( 神妙坐禅で己を明らめなければ ( 一日の命であっても ( その機を受領した者に及ばないとこれは一仏二仏のいふところにあらず諸仏の道取しきたれるところなり...

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行 持  「 七通八達 」

行 持   94 )雲居山弘覚大師この道を七通八達するにいはく説の時は行の路なく行の時は説の路なし ( 洞山良价禅師の法嗣であられる ( 雲居山弘覚大師 ( 835~902 ) が ( 洞山禅師の本旨をこう伝えています ( 理解している時は、行えず ( 行っている最中は、理解出来ないとこの道得は行説なきにあらずその説時は、一生不離叢林なりその行時は、洗頭到雪峰前なり ( この文意は ( 理解は理解で大事...

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行 持  「 高祖の道 」

行 持   93 )洞山悟本大師、いわく行不得底を説取し説不得底を行取す ( 洞山悟本大師 ( 807~869 ) ( が述べられました ( 自分ではなしえない事を理解し ( 理解だけでは達成 ( 出来ない事を行ずるのですこれ高祖の道なりその宗旨は行は説に通ずるみちをあきらめ説の行に通ずるみちあり ( 十分に検証された理解 ( それを基礎として ( 行がなされるのが健全です ( そしてその理解は ( 行じられて...

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行 持  「 全 量 」

行 持   92 )須弥に全量あり、芥子に全量あり行持の大節、これかくのごとし ( 須弥山とは ( 森羅万象を表わしています ( しかし小さな芥子粒の中に ( 森羅万象が下り映されるのですいまの道得は寰中の自為道にあらず寰中の自為道なり ( 須弥山森羅万象が ( 神妙に内十字を切られてる ( 寰中 kantyu 禅師の ( 身中十字中心へと下り ( 映し出されるのは  ( 坐禅行の功徳であり ( 寰中 kantyu...

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行 持  「 一寸を行取せん 」

行 持   91 )大慈寰中禅師 daizi kantyu いはく一丈を説得せんよりは一尺を行取せんに如 shi かず一尺を説得せんよりは一寸を行取せんに如かず ( 丈 ≒ 3 m 尺 ≒ 30 cm 寸 ≒ 3 cm ( 大慈寰中禅師 (~862) が述べられました ( 法を一丈理解するよりも ( 一尺を行ずるほうがよいのです ( 一尺を理解するよりも ( 一寸を行ずるほうがよいのですこれは、時人の行持おろそかにして仏道の通達をわすれたるがごと...

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行 持  「 繋縛 keibaku 」

行 持   90 )ただながく名利をなげすてて万縁に繋縛 keibaku せらるることなかれ光陰をすごさず、頭燃をはらふべし ( 日常では名や利が大事です ( 仏道ではそれから離れます ( 日常ではよき縁が助けとなります ( 仏道では万縁の繋縛を切ります ( 日常では up down で生きがいを感じますが ( 仏道では寂滅に馴れる必要があります 大悟をまつことなかれ大悟は家常の茶飯なり不悟をねがふことなかれ不悟は髻...

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行 持  「 大 道 」

行 持   89 )いま仏祖の大道を行持せんには大隠小隠を論ずることなく聡明鈍癡をいふことなかれ ( 今、仏道を行くのに ( ここが静かな山の中か ( あるいは喧騒の市中か ( それは関係しません ( 自分は聡明なのか ( 愚鈍なのか、それも関係しません ( 誕生と死、二つ壁を ( 意識の光は超ええない ( 普通の悟性で分かります ( だとするなら ( カルマ・運命の必然は ( 見通す事は出来ないだ...

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行 持  「 依 正 esyo 」

行 持   88 )身口意および依正をきたして功夫参究すべし仏祖行持の功徳もとより人天を済度する巨益 koyaku ありとも人天さらに仏祖の行持にたすけらるると覚知せざるなり ( 振る舞い、言葉、意志 ( この心身こそが ( カルマそのものと言えます ( このカルマの心身を ( 中心へと寂滅して行くよう ( 十字4線、内へ一画へと導きます ( この十字流入を穏やかに続ける ( これによりカルマは ( 静かに...

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行 持  「 小 院 」

行 持   87 )この天童山は、もとは小院なり覚和尚の住裏に、道士観尼寺、教院等を掃除していまの景徳寺となせり ( 天童山は ( もとは小さな禅堂でした ( 正覚和尚 ( 宏智禅師 )が ( 道教の寺や尼寺 ( 教院などを取り除き ( 今の景徳寺の形にしました  師 遷化 senge ののち左朝奉大夫 satyobudaihu侍御史 zigyosi 王伯庠 ohakusyoちなみに師の行業記を記するにある人いはくかの道士観、尼寺、教寺をうば...

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行 持  「 太白山 」

行 持   86 )宏智 wansi 禅師正覚和尚の会 e に護伽藍神 gokaransin いはくわれきく、覚和尚この山に住すること十余年なりつねに寝堂にいたりてみんとするに不能前なり未之識也まことに有道の先蹤 sensyo にあひあふなり ( 宏智禅師 ( 正覚和尚 )  ( の禅堂の守護神が述べました ( 宏智禅師は、 ( この山に住んで十幾年とのことです ( 私は禅師と親交を結びたく ( 和尚の部屋を度々訪ねるのですが ( 禅...

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行 持  「 見 」

行 持   85 )南泉いはく老僧修行のちからなくして鬼神に覰見 syoken せらるしるべし、無修の鬼神に覰見せらるるは修行のちからなきなり ( 南泉普願禅師 ( 748 - 835 ) ( は、述べられました ( 鬼神に見られてしまった ( 見られてしまった、と言う事は ( 私の修行が未熟のゆえです ( チベットを水源とし ( 6,300 km の旅をし ( そして大海に注ぐ 「 長 江 」 ( 鬼神ですらこの長江を ( とら...

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行 持  「 超 証 」

行 持   84 )天衆、神道、もし仏祖の行履をふむときは仏祖にちかづくみちあり仏祖あまねく天衆神道を超証するには天衆、神道はるかに見上のたよりなし仏祖のほとりにちかづきがたきなり ( 天人鬼神がもし ( その身で十字を切り威儀を正すなら ( 仏祖に近づくことが出来るでしょう ( しかし仏祖の十字威儀は ( 天人鬼神ですら窺い知る能わずな ( 異質な時空にあるのです ( 千年生きられる天人ですら (...

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行 持  「 天眼鬼神 」

行 持   83 )向来の仏祖のなかに天の供養をうくるおほししかあれどもすでに得道のとき天眼およばず、鬼神たよりなしそのむねあきらむべし ( 祖師方が修行に励む時 ( 多くの天恵を受けます ( しかしその方が道を得ると ( 天人鬼神すら ( その方の消息を見失います ( 何故なのでしょうか ( 深く考えねばなりません ( 世界中にどれくらいの ( 釈尊やキリスト・イエスの絵画 ( そして彫刻・シンボ...

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行 持  「 崆 峒 」

行 持   82 )黄帝は崆峒 kodo 道人広成の弟子なり広成は崆峒といふ巌 iwa のなかにすむいま大宋国の国王、大臣おほくこの玄風をつたふるなり ( 黄帝は ( 古代中国 ca BC2500 の帝です   ( 崆峒 kodo と言う石窟で (か威儀坐禅 されてた ( 「 広成 」 という方が師です ( 宋国の国王大臣の方々は ( みなこの黄帝の気風を尊ばれて ( 今に伝えていますしかあればすなはち塵労中人なほかくのごとし出家...

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行 持  「 樹下林間 」

行 持   81 )俗なほ草屋に居す出家人いかでか高堂大観を所に擬せん懺愧 zanki すべきなり古人の樹下に居し林間にすむ在家、出家ともに愛する所住なり ( 仏弟子でない皇帝方も ( 草葺きの家に住まわれました ( 仏弟子が、どういう訳で ( 大きく立派な建物を ( 志向することが出来るでしょう ( 恥ずべきことと思うことです ( 古人が樹下に坐し林間に住んだのは ( 仏弟子かどうかに関わらず ( 皆その...

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行 持  「 明 堂 」

行 持   80 )しるべし、合宮、総章はともに草をふくなりいま黄帝、堯、舜をもてわれらにならべんとするになほ天地の論にあらずこれなほ草蓋を明堂とせり ( 黄帝 堯帝 舜帝 ( 古代中国の皇帝方です ( その身分は ( 私達と比べようもありません ( それなのに ( 草ぶきの建物をもって ( 「 明 堂 」 としたのでした ( 坐禅行がジョギングや ( ウォーキングのように人気がでない理由 ( アウトドア...

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お疲れ様です!8月3日 月曜日如何お過ごしでしょうか?長きな梅雨も明けにけりアッ!チィ!チィ! な夏さんの御到来!今年も、うれし楽しきひと夏であられますよう陰ながらお祈り申し上げます!....

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行 持  「 合宮総章 」

行 持   79 )尸子 sisi にいわく黄帝の行をみんとおもわば合宮に於いてすべし堯舜の行をみんとおもわば総章に於いてすべし黄帝の明堂は草を以てこれをふく名づけて合宮という舜の明堂は、草を以てこれをふく名づけて総章という ( 歴史家の尸子 sisi [ca BC300] ( が書き残しています (  BC2500年頃の黄帝の行いは ( その住まい「 合宮 」 にあらわれ ( 堯帝、舜帝の行いは ( その住まい「 総章宮 」 から...

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行 持  「 勝 躅 」

行 持   78 )黄帝、堯、舜 等は俗なりといへども草屋に居す世界の勝躅 syo-tyoku なり ( 黄帝 ko-tei  堯帝 gyotei  舜帝 syuntei  ( 古代中国 (ca BC2500) の皇帝方は ( 仏者ではありませんでしたが ( 質素草葺きの家に暮らされました ( この暮らし方は ( 先人方のすぐれた世界遺産です [ 例外不規則はありますが [ 基本千年に一度 [ 女性としてそして男性として [ 人の身体に下る [ 二千年...

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行 持  「 幽 棲 」

行 持   77 )いはんやこの日本国は王臣の宮殿なほその豊屋あらずわづかにおろそかなる白屋なり ( 中国の祖師方は ( まるでアウトドアな質素草庵で ( 坐禅行持をなさってます ( ましてや、この日本では ( 王臣の方ですら質素な ( 茅葺屋根に暮らしています出家学道のいかでか豊屋に幽棲するあらんもし豊屋をえたる、邪命にあらざるなし清浄なるまれなりもとよりあらんは論にあらずはじめてさらに経営するこ...

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プロフィール

佐々木正巳

Author:佐々木正巳
「 国見坐禅会 」

(ご希望に合わせ随時開催・参加費無料)


宮城県仙台市青葉区国見5-6-18
( 5-6-18 kunimi Aobaku Senndai )

090-7325-5711 佐々木正巳 まで










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