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坐禅箴 「 不対縁 」

坐禅箴  28)縁に対せずして照らすこの照は照了の照にあらず霊照にあらず、不対縁を照とす照の縁と化せざるあり縁これ照なるゆえに不対といふは、遍界不曾蔵なり破界不出頭なり微なり、妙なり、回互不回互なり正法眼蔵第十二巻は、「坐禅箴(Zazen Sin)」 でした宏智禅師の「 縁に対せずして照らす 」これに対し、道元禅師の解説でした縁結びの神様と言えば、出雲大社縁切り寺と言えば、鎌倉の東慶寺?良縁/悪縁とは「人間関係...

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坐禅儀 「 不染汚の修証なり 」

正法眼蔵「 坐禅儀 」  7)かくのごとく身心をととのへて欠気一息あるべし、兀々と坐定して思量箇不思量底なり不思量底如何思量これ非思量なりこれすなはち坐禅の法術なり坐禅は習禅にはあらず大安楽の法門なり不染汚の修証なり正法眼蔵 第十一巻「 坐禅儀 」ラスト一節でした坐禅は習禅にはあらず ・・こう述べられてると言う事は坐禅が習禅になってしまうが常だからこちら(私)が色々習い事研究研鑽せにゃならん、は明確なりで...

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坐禅儀 「 不張不微なるべし 」

正法眼蔵「 坐禅儀 」  6)舌は、かみのあぎとにかくべし息は鼻より通ずべしくちびる・歯あひつくべし目は開すべし、不張不微なるべし------------------------------------------正法眼蔵 第十一巻「 坐禅儀 」舌は上歯茎の裏側に付けとく別に何と言う事のない所作です上歯茎の裏側(Agito)は唾液線のPointにあたりここを押さえるは免役系の重要要素な唾液分泌量それを左右するでしょうから心身安定の一助になる事が推測されます...

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坐禅儀 「 耳と肩と対し 」

正法眼蔵「 坐禅儀 」  5)衣衫を寛繋して斉整ならしむべし右手を左足の上におく、左手を右手のうへにおくふたつのおほ指、先あひささふ両手かくのごとくして、身に近づけおくなり二つのおほ指のさしあはせたる先を臍(ほぞ)に対しておくべし正身端坐すべし左へそばだち、右へかたぶき前にくぐまり、後ろへあふのく事なかれかならず耳と肩と対し、鼻と臍(ほぞ)と対すべし------------------------------------------正法眼蔵 第十...

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坐禅儀 「 坐する法なり 」

正法眼蔵「 坐禅儀 」  4)坐禅のとき、袈裟をかくべし、蒲団をしくべし蒲団は全跏にしくにはあらず跏趺の半ばよりはうしろにしくなりしかあれば累足のしたは坐蓐にあたれり脊骨のしたは蒲団にてあるなりこれ仏々祖々の坐禅のとき坐する法なりあるいは半跏趺坐し、あるいは結跏趺坐す結跏趺坐は、右の足を左の腿の上におく左の足を右の腿の上におく足の先、おのおの腿とひとしくすべし参差なることえざれ半跏趺坐はただ左の足を...

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プロフィール

佐々木正巳

Author:佐々木正巳
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「国際交流のための坐禅会」

(ご希望に合わせ随時開催・参加費無料)

2006 東京国立博物館(上野) にて開催
2006~2015 仙台国際センターにて毎月開催
2022 ~  仙台 国見にて随時開催



かつて馬祖 baso の会 e に参じてとふ
「 如何是仏 nyoga-zebutu 」と
馬祖いはく
「 即心是仏 sokusin-zebutu 」と
法常このことばをききて
言下大悟 gonka-taigo す




法常禅師 Ho-zyo zenzi が
馬祖 baso 禅師の坐禅道場で
静かにお坐りになられてる
傍目にそのお姿は、静止してて
水面静まりけり、死人のように見えます
その死んだ水面に、天地が語りかけます
陽光星辰は一瞬も滞らず、その歌を奏でます

法常禅師はある時
馬祖禅師にご質問なされた
「 仏とは、どのようなものですか 」

馬祖禅師が答えます
「 坐禅においては、心が仏となります 」






宮城県仙台市青葉区国見5-6-18
( 5-6-18 kunimi Aobaku Senndai )


仙台にお越しの折は
気軽にお寄り下さいませ

ご連絡先はコチラでした!
090-7325-5711



師 沼田 勇 先生 



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文章を通しての師

Rudolf Steiner 先生
Kōdō Sawaki
沢木 興道 老師 ( 曹洞宗 )










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