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坐り方の工夫 45


坐り方の工夫 45


[ 質問 ]

手を観てその人の貴賤
部下の有無を弁ずる事が出来るのは、何故でしょうか

[ お答え ]

手は自分の身体の左右にあり
龍虎の臣下のような役割をしている
つまり、手が龍虎の臣下になりうるか否か
をもって、その人の貴賤を弁ずるのである
また、手が完全である者は
龍虎の臣下を得たようなもので、その身体は自然と貴い

逆に手が賤しい者は
龍虎の臣下を得ていないようなもので
自然と下賤である
ゆえに、手を観てその人の貴賤
部下の有無を弁ずる事が出来るのである
しかし、心の清濁によって深く考え知るべきである


......................................水野南北居士(1760-1834)





2019年11月27日01



ガチィ!パリィ!ドンッ!
を継続中でした

左右の脚は胡坐であれ
半跏趺坐であれ、組んで候ですが
本日は、残りの「 腕と手 」の考察です

ドンッ! (鳩尾のしこりを垂直放下)
を続けていますと
何となく腰腹に、身体の首都が移るような
相対的に、その他は過疎化?するような
体感的に「 腕と手 」は軽量化な方向へ

「 腰腹 」 の重量化と、「 腕と手 」 の軽量化

確かにそれは、
臣下の関係と、言えるのかも知れません

その状態で
普段では不自然な
「 法界定印 」 のような手組みをしても
反旗違和感を感じません

これは「 腕と手 」が
気軽に、「 腰腹 」に従ってる証でしょうか



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プロフィール

佐々木正巳

Author:佐々木正巳
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「国際交流のための坐禅会」

(ご希望に合わせ随時開催・参加費無料)

2006 東京国立博物館(上野) にて開催
2006~2015 仙台国際センターにて毎月開催
2022 ~  仙台 国見にて随時開催



かつて馬祖 baso の会 e に参じてとふ
「 如何是仏 nyoga-zebutu 」と
馬祖いはく
「 即心是仏 sokusin-zebutu 」と
法常このことばをききて
言下大悟 gonka-taigo す




法常禅師 Ho-zyo zenzi が
馬祖 baso 禅師の坐禅道場で
静かにお坐りになられてる
傍目にそのお姿は、静止してて
水面静まりけり、死人のように見えます
その死んだ水面に、天地が語りかけます
陽光星辰は一瞬も滞らず、その歌を奏でます

法常禅師はある時
馬祖禅師にご質問なされた
「 仏とは、どのようなものですか 」

馬祖禅師が答えます
「 坐禅においては、心が仏となります 」






宮城県仙台市青葉区国見5-6-18
( 5-6-18 kunimi Aobaku Senndai )


仙台にお越しの折は
気軽にお寄り下さいませ

ご連絡先はコチラでした!
090-7325-5711



師 沼田 勇 先生 



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文章を通しての師

Rudolf Steiner 先生
Kōdō Sawaki
沢木 興道 老師 ( 曹洞宗 )










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