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古仏心 「 古仏心は牆壁瓦礫なり 」


正法眼蔵「 古仏心 」  9 )

かくのごとく保任して
のちにさらに参究すべし
いはゆる牆壁はいかなるべきぞ

なにをか牆壁といふ
いまいかなる形段をか具足せると
審細に参究すべし

造作より
牆壁を出現せしむるか
牆壁より
造作を出現せしむるか

造作か、造作にあらざるか
有情なりとやせん、無情なりや
現前すや、不現前なりや

かくのごとく功夫参学して
たとひ天上人間にもあれ
此土他界の出現なりとも
古仏心は牆壁瓦礫なり

さらに一塵の出頭して染汚する
いまだあらざるなり



2019年11月09日01



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正法眼蔵第九巻は「 古仏心 」


「 古仏心は牆壁瓦礫なり 」

古仏方は、
身体と仲良くなり、身体で何かする、とはせず

身体から如何に離れるか
そのために身を正し、手を円相に組まれたのでは?
これが本日の仮説でした


坐の構成として

1.お辞儀から
  左右股関節を加圧し固定す

2.加圧のままみぞおちを伸ばす
  大腰筋の反発収縮力が起動

3.上半身を大腰筋パワーに任せ、脱力放下する

4.上半身の「虚」に、腰力→←腹力の「実」を対置する

1~3までは、普通の身体感覚で出来そう

一方、4の「腰力→←腹力」
これを等量で対峙せしめる

これは、
運動・スポーツ的な感覚を離れ
数理幾何的?純粋思考?的
そんな「思考」が介入するような

職人さんが、水平や垂直をとる時
「情」は、からまないと言えます

職人さんが
部材に対してとる「無情」を
古仏方は、我が身に対してなされる

その意味とは?
心身ともに
お互いの束縛から自由になれる
その結果として
心は、おおらかに発動出来
身は、本来の力を発揮出来るのでは

我が身が
牆壁瓦礫(ショウヘキガレキ)のよう受け止められる
これは、心にとっても身にとっても
ドエライ事なんだと





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佐々木正巳

Author:佐々木正巳
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「国際交流のための坐禅会」

(ご希望に合わせ随時開催・参加費無料)

2006 東京国立博物館(上野) にて開催
2006~2015 仙台国際センターにて毎月開催
2022 ~  仙台 国見にて随時開催



かつて馬祖 baso の会 e に参じてとふ
「 如何是仏 nyoga-zebutu 」と
馬祖いはく
「 即心是仏 sokusin-zebutu 」と
法常このことばをききて
言下大悟 gonka-taigo す




法常禅師 Ho-zyo zenzi が
馬祖 baso 禅師の坐禅道場で
静かにお坐りになられてる
傍目にそのお姿は、静止してて
水面静まりけり、死人のように見えます
その死んだ水面に、天地が語りかけます
陽光星辰は一瞬も滞らず、その歌を奏でます

法常禅師はある時
馬祖禅師にご質問なされた
「 仏とは、どのようなものですか 」

馬祖禅師が答えます
「 坐禅においては、心が仏となります 」






宮城県仙台市青葉区国見5-6-18
( 5-6-18 kunimi Aobaku Senndai )


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