谿声山色 28 「 大慈大悲 」
- 2021/06/11
- 07:27
正法眼蔵 谿声山色 28
「 大慈大悲 」

又むかしより、天帝 ten-tai きたりて
行者の志気を試験し
あるひは魔波旬 maha-zyun きたりて
行者の修道をさまたぐることあり
( 今も昔も
( 静かに坐しても
( 帝釈天のような
( 守護神がやって来て
( 修行者の志気を試したり
( 或いは魔が来て坐を乱したりします
これみな名利 myo-ri の志気
はなれざるとき、この事ありき
大慈大悲のふかく広度衆生の
願の老大なるには
これらの障礙 syo-ge あらざるなり
( これらは皆
( 坐は、「 私 」 と 「 こころ 」 を分け
( 「 こころ 」 を 寂滅するためにする
( と言う目的が定まらない時起きます
( 何故、そうするのでしょう
( この 「 こころ 」 とは
( それ独自の生を営み
( 良いものも悪いものも
( その欲望の鬼となって
( もう自ら終わる事が出来ず
( 無限を旅する哀れなものだからです
( 普通、死は恐怖ですが
( それらには「 死ねない 」 ことが恐怖なのです
( これを哀れに思い
( 一見冷徹な引導を渡す
( 「 こころ 」 に対しそうする事が慈悲である
( そう定まれば、諸々の 「 こころ 」 は
( やっとのこと、その坐の中で
( 寂滅を迎えられるのです
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