かさねて六十棒を喫 ki す
- 2023/07/21
- 07:20
正法眼蔵 行持 ( 177 )
臨済院 慧照 esyo 大師は、黄檗 obaku の嫡嗣 tekisi なり
黄檗の会 e にありて三年なり
純一に辨道 bendo するに
睦州 boku-syu 陳 tin 尊宿 sonsyuku の教訓によりて
仏法の大意を黄檗にとふこと三番するに
かさねて六十棒を喫 ki す
なほ励志 reisi たゆむことなし
大愚 daigu にいたりて大悟することも
すなはち黄檗、睦州 両尊宿の教訓なり

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臨済義玄禅師、その師である黄檗希運禅師
ともに9世紀・唐の方です
道元禅師は13世紀の方なので
400年の時間が経過しています
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同じ400年でも、今から400年前は
2023 - 400 = 1623年 江戸時代初期となります
スマホ・ネット、電気ガス自動車はなく
水を汲みに行ったり、薪でご飯を炊いたり
病院はなく健康診断もない
体質・体力・感じ方・考え方、どんなだったんでしょう
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殴ったり、棒で叩いたり
この一節に記述されてる教育手法
なされる方も、される方も
現代人とは異質な人間だったとすると
どう判断したらいいのか、でしょうか
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「 なほ励志 reisi たゆむことなし 」
いろいろあったけど、めげずに続けた
そして、そこには先生・先人方の
育てようという、暖かい眼差しがあった
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なされてることは、理解出来なくとも
こう総括なされる道元禅師の感じ方は
1200年経過した、現代の私達も頷けます
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