われ、われとしたしからず
- 2023/07/09
- 07:28
正法眼蔵 行持 ( 167 )
うらむべし、わが不修の
しかあらしむるなるべし
われ、われとしたしからず
われ、われをうらむるなり

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「 うらみに思う 」
何かぐちゃぐちゃな後悔
致し方なし、とわりきれない
何でそうなるのか ?
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他人事なら、しらっと出来ますが
自分が自分をないがしろにしてたので
後悔がぐちゃぐちゃになる
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線 A B があります

← B この向きがあり A → の向きがあります
時間は 左に流れてるとします
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未来へ向かって進んでる、そう感じます
違う感じ方もあります
過去を振り返ったとします
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この直径を、倍々に大きくしたとします
この円の円周は、だんだん直線へ近づいて行きます
この倍々ゲームを止めなかったとします
ほぼ直線です
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円の直径が無限? になると
不思議が現れます

未来じゃなく、過去を振り返ります
無限の過去を振り返ると ・・・
閉じた 「 円 」 を一周して
未来の方向から 橙色の今に帰って来ます
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未来は私達が赴くところじゃなく
未来は 「 モト過去 」 が
無限の時間を一周して、また
私達に会いにやって来た
こう感じることも可能です
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「 如来 」 と言う言葉があります
そのまま読めば
やって来るに似ている
やって来る、のようなもの
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「 如来様 」 と言う言葉があります
これは固有名詞に感じます
ある仏様、みたいな
こうも読めます
静かに佇むことが出来れば
未来が向こうからお出ましになられる
それは、無限の時間を旅してやって来た、己の過去だと
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これは幾何学を悪用した詭弁ではないか ?
それは十分説得力をもちます
しかし、この感じ方は、時間を道徳律として
私達の前に現します
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自分が自分をないがしろにしない
とは、どう言うことでしょう ?
自分と向き合う、でしょうか
では、どうする事が自分と向き合う事に
なるのでしょう
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自分とは、自分でも思い出せない
自分の無限の過去の総体とも言えます
それとどう向き合うか ?
前を向いてたら、それは前から
未来からこちらへやって来ると
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静かに坐して
坐禅の輪郭線を描き
その線巾をどんどん細くしてゆく
心身に去来するものも
その音階につられて
どんどん静まってゆきます
これって何してるんでしょう
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次から次へと心身に去来するもの
それは己の過去
(無限時間を旅してきたので、そのままじゃないけど)
に他ならない
その過去の己を鎮めてる、けりをつけてる
.