光陰とわれと、なんの怨家 onke ぞ
- 2023/07/08
- 08:31
正法眼蔵 行持 ( 166 )
光陰 koin なにとしてかわが功夫をぬすむ
一日をぬすむのみにあらず
多劫 tago の功徳をぬすむ
光陰とわれと、なんの怨家 onke ぞ

- - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -
時間に急き立てられたり
時間が空虚さで我を責めたり
落ち着いて考えると、時間と自分って仲良く
お付き合いしてると思えない
- - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -
面壁坐禅
目の前に壁があります
背中後方に光源があったとします
壁に、己の姿の影が映ります
- - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -
面壁坐禅
目の前の壁には、己の姿の影が映ってる
その影は 「 平面 」 ですが
己の姿身体は 「 立体 」 です
一次元下の次元を見ることになってる
- - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -
縦 横 奥行き
空間を見てるということは
私達はこの三次元空間の一つ上
そう、その三つに 「 時間 」 という次元がプラスされた
四次元空間にあって
その影である、三次元空間を目前に見てる
となります
- - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -
世界はどこまでも
三次元空間でひろがってます
それを見てる自分は その一つ上
「 その世界に次元が一つプラスされてる存在 」 とは
どこまでいっても分からないようになってる
- - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -
目標を立て、スケジュールを決め
それに沿って行動して行く
これが、「 時間 」 を生きる
ということでしょうか ?
- - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -
「 線 」 にお住まいだとします
私達は、点としてその線上を
左右上下に生きるしかありません
- - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -
「 面 」 にお住まいだとします
私達は、点としてあるいは線としてその面上を
飛び跳ねることなく、に生きるしかありません
- - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -
「 立体空間 」 にお住まいだとします
私達は、点として あるいは線として面として
その中を自由に動けます
でも、時間に関しては無力です
- - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -
そもそも論で
自由に動くには 「 時間 」 が必要です
時間がなければ硬直?氷の世界です
- - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -
点の世界(ゼロ次元)
線の世界(一次元)
面の世界(二次元)
立体の世界(三次元)
ここまでは空間に関わってます
次に加味される時間は
不明ゆえに熟考が求められます
- - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -
坐禅の輪郭線を描き
その円を閉じて、独立させます
その円の輪郭線を
その線の幅を、どんどん細くして行きます
この ing の中に行きます
これは積極的行為であって
自ら時間を創造してるが如くです
- - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -
坐禅の姿を借りて
その輪郭線の幅をどんどん細くしてく
これが何故時間の創造
時間に介入してる行為と言えるのでしょう
それは、この行為が
自らがする 「 息 」 に影響を与えるから
- - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -
坐禅の輪郭線の幅を、どんどん細くしてく
すると、それが音符になって
身体という縦笛の音は
静かで細長くなってゆきます
- - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -
時間と言う気まぐれな指揮者が
私達を自由に規定してた
速くながれたり、のんびり流れたり
- - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -
自らが音符を規定し
音楽の流れを創造してゆく
ここで初めて、私達は
「 時間 」 に介入出来たと言えます
.