はるかに三界の人天をこゆるなり
- 2023/05/17
- 08:44
正法眼蔵 行持 ( 131 )
この天童山は、もとは小院なり
覚 kaku 和尚の住裏 zyuri に、道士観、尼寺、
教院等を掃除 sozyo して、いまの景徳 keitoku 寺となせり
師 遷化 senge ののち
左朝奉大夫 satyobu-daihu 侍御史 zi-gyosi 王伯庠 o-hakusyo
ちなみに師の行業記 gyogoki を記するに
ある人いはく
「 かの道士観、尼寺、教寺をうばひて、
いまの天童寺となせることを記すべし。」
御史いはく、「 不可なり、此の事、僧の徳に非ず。」
ときの人、おほく侍御史をほむ
しるべし、かくのごとくの事は、俗の能なり、僧の徳にあらず
おほよそ仏道に登入する最初より
はるかに三界の人天をこゆるなり
三界の所使 syosi にあらず、三界の所見にあらざること
審細 sinsai に咨問 simon すべし

宏智 wansi 禅師 ( 1091~ 1157 ) は、
中国・宋の時代、12世紀の方です
大昔に感じますが今と同じように
文化教養は百花繚乱錯綜してた
禅師が亡くなられて伝記伝承の段になります
ある人が訴えます
「あの方は、道教の寺院尼寺をつぶしてあの道場を創った」
伝記作者はそれを採用しません
禅師の立ち位置価値は、
とった とられたの武将皇帝達とは違う文脈にあると
世界遺産の絶景の地に移住したとします
それで圧巻雄大自然を満喫出来るでしょうか
それに呼応する胸部が準備されてなければ
いなでしょう
圧巻大気を胸部にコピペして初めて実感が湧く満喫出来る
坐禅では背筋を正します
何故でしょう
気道を正し、ゆるやかに鳩尾を伸ばして
地球大気圏全域にも似た、大気気道を整備するため
このような事は宗教の表面史、思想の表面史とは
まったく違う文脈にあります
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