FC2ブログ

記事一覧

はるかに三界の人天をこゆるなり



正法眼蔵 行持 ( 131 )


この天童山は、もとは小院なり
覚 kaku 和尚の住裏 zyuri に、道士観、尼寺、
教院等を掃除 sozyo して、いまの景徳 keitoku 寺となせり
師 遷化 senge ののち
左朝奉大夫 satyobu-daihu 侍御史 zi-gyosi 王伯庠 o-hakusyo
ちなみに師の行業記 gyogoki を記するに
ある人いはく
「 かの道士観、尼寺、教寺をうばひて、
いまの天童寺となせることを記すべし。」
御史いはく、「 不可なり、此の事、僧の徳に非ず。」
ときの人、おほく侍御史をほむ
しるべし、かくのごとくの事は、俗の能なり、僧の徳にあらず
おほよそ仏道に登入する最初より
はるかに三界の人天をこゆるなり
三界の所使 syosi にあらず、三界の所見にあらざること
審細 sinsai に咨問 simon すべし




2023051700001.png





宏智 wansi 禅師 ( 1091~ 1157 ) は、
中国・宋の時代、12世紀の方です
大昔に感じますが今と同じように
文化教養は百花繚乱錯綜してた
禅師が亡くなられて伝記伝承の段になります
ある人が訴えます
「あの方は、道教の寺院尼寺をつぶしてあの道場を創った」
伝記作者はそれを採用しません
禅師の立ち位置価値は、
とった とられたの武将皇帝達とは違う文脈にあると


世界遺産の絶景の地に移住したとします
それで圧巻雄大自然を満喫出来るでしょうか

それに呼応する胸部が準備されてなければ
いなでしょう

圧巻大気を胸部にコピペして初めて実感が湧く満喫出来る

坐禅では背筋を正します
何故でしょう
気道を正し、ゆるやかに鳩尾を伸ばして
地球大気圏全域にも似た、大気気道を整備するため

このような事は宗教の表面史、思想の表面史とは
まったく違う文脈にあります






.

コメント

コメントの投稿

非公開コメント

プロフィール

佐々木正巳

Author:佐々木正巳
-----------------------------------


「国際交流のための坐禅会」

(ご希望に合わせ随時開催・参加費無料)

2006 東京国立博物館(上野) にて開催
2006~2015 仙台国際センターにて毎月開催
2022 ~  仙台 国見にて随時開催



かつて馬祖 baso の会 e に参じてとふ
「 如何是仏 nyoga-zebutu 」と
馬祖いはく
「 即心是仏 sokusin-zebutu 」と
法常このことばをききて
言下大悟 gonka-taigo す




法常禅師 Ho-zyo zenzi が
馬祖 baso 禅師の坐禅道場で
静かにお坐りになられてる
傍目にそのお姿は、静止してて
水面静まりけり、死人のように見えます
その死んだ水面に、天地が語りかけます
陽光星辰は一瞬も滞らず、その歌を奏でます

法常禅師はある時
馬祖禅師にご質問なされた
「 仏とは、どのようなものですか 」

馬祖禅師が答えます
「 坐禅においては、心が仏となります 」






宮城県仙台市青葉区国見5-6-18
( 5-6-18 kunimi Aobaku Senndai )


仙台にお越しの折は
気軽にお寄り下さいませ

ご連絡先はコチラでした!
090-7325-5711



師 沼田 勇 先生 



----------------------------------

文章を通しての師

Rudolf Steiner 先生
Kōdō Sawaki
沢木 興道 老師 ( 曹洞宗 )










.

最新記事

カテゴリ