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得恁麽なりとしらざらんは、あはれむべき自己なり



正法眼蔵 行持 ( 80 )


至愚 sigu のみづからは
不唖漢 huakan をしらず、不唖漢をしらせず
阿誰 asui か遮障 syasyo せざれども、しらせざるなり
不唖漢なるを、得恁麽 toku-inmo なりときかず
得恁麽なりとしらざらんは、あはれむべき自己なり


2023年02月21日00005



趙州 zyo-syu 禅師 120年の生涯
どれだけの時間壁の前で、静かにお坐りになっておられたことか

「 あの古仏の道場には多くの
  修行者が集まってるが、みな唖ではないのか  」

里の村人ならず、同じく仏道を志す禅門の僧からも
そのような誹りが、趙州 zyo-syu 禅師の御耳に届いたものである
趙州 zyo-syu 禅師 は、八世紀から九世紀の方である
日本はというと平安時代である
達磨大師の面壁坐禅が中国に伝わって以来
どれだけの俊英方が、坐禅の門を叩いたことか

「 こんな壁の前にじっと坐っていて何になろう
  唖になるために、生まれて来たのか         」

はなばなしく火を焚いたり、呪文を唱えたり
実際目の当たりにすれば
そのインパクトは圧倒的である人を虜にする
坐禅僧が並んで壁の前に坐っている、その姿は荘厳であるが
壁の前に坐っている本人に、そのような感動は訪れなかったのである







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プロフィール

佐々木正巳

Author:佐々木正巳
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「国際交流のための坐禅会」

(ご希望に合わせ随時開催・参加費無料)

2006 東京国立博物館(上野) にて開催
2006~2015 仙台国際センターにて毎月開催
2022 ~  仙台 国見にて随時開催



かつて馬祖 baso の会 e に参じてとふ
「 如何是仏 nyoga-zebutu 」と
馬祖いはく
「 即心是仏 sokusin-zebutu 」と
法常このことばをききて
言下大悟 gonka-taigo す




法常禅師 Ho-zyo zenzi が
馬祖 baso 禅師の坐禅道場で
静かにお坐りになられてる
傍目にそのお姿は、静止してて
水面静まりけり、死人のように見えます
その死んだ水面に、天地が語りかけます
陽光星辰は一瞬も滞らず、その歌を奏でます

法常禅師はある時
馬祖禅師にご質問なされた
「 仏とは、どのようなものですか 」

馬祖禅師が答えます
「 坐禅においては、心が仏となります 」






宮城県仙台市青葉区国見5-6-18
( 5-6-18 kunimi Aobaku Senndai )


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ご連絡先はコチラでした!
090-7325-5711



師 沼田 勇 先生 



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Rudolf Steiner 先生
Kōdō Sawaki
沢木 興道 老師 ( 曹洞宗 )










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