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仏 butu 道 do 声 syo をきかざらんは





正法眼蔵 行持 ( 78 )


仏道かくのごとし
仏 butu 道 do 声 syo をきかざらんは
不語の不唖漢なる道理あるべからず



2023年02月19日00001




「 仏道の声とは、どのようなものだろう ? 」
仏教の書を読む多くの人が、そう思います
誰かがそこで何かをなされた
そこでそのような会話がなされた
これは読み進んでいてもイメージとして理解出来ます

「 あのお店のお蕎麦、とても美味しかったですよ! 」
日常の会話でこれで違和感を感じることはありません
そうですか、こんど機会があったら行ってみようか
思考が止まることはありません

「 仏道の声を聞かねば
  何も語らなくても、その方が唖ではないという道理は
  理解できないでしょう                  」
仕事の上で、あるいは日常の会話で
目の前におられる方が、そのような事を述べられたら
その方が去った後の会話は想像出来ます

「 あのような方は信用できませんね
  わけわかんないこと言って、人を煙にまこうとしている 」
つまり取引相手としては不可という判断が下るのが
日常では健全な推移となります

日常の判断は、思った以上に健全なわけです
曖昧な発言がスルーされることは稀です

「 昔の書物には、仏道の声という言葉が登場します
  これは誰かの声や誰かの楽曲を言ってるのではありません  」
 
「 雄大なる山の全景、 天を行くお月様  
  そのお姿がビジュアルを超えて
  まるで、雄大なる音を発しているように感じられる  」

昔の書にでてくる、仏道の声
これはまさに、坐禅をする人の姿が
まるで、雄大なる音を発しているように感じられる
このような普通の健全なる判断を述べておられるわけです








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