FC2ブログ

記事一覧

行 持  下 「 諸人審細に辨道功夫すべし 」




正法眼蔵 行 持  下
「 諸人審細に辨道功夫すべし 」


たれか諸方にうけざる人あらん
一万鋌 zyo の銀子
ふるき人のいはく
金銀珠玉、これをみんこと
糞土 hun-do のごとくみるべし
たとひ金銀のごとくみるとも
不受 hu-zyu ならんは
衲子 no-su の風なり
先師にこの事あり、
余人 yo-nin にこのことなし

 ( 一万鋌の銀貨
 ( 受け取らない人が
 ( どこにおられるでしょうか
 ( 昔の人が諭しています
 ( 金銀宝珠は
 ( 腐った土に見えるはずだと
 ( 仮に宝に見えたとしても
 ( 受け取らないのが禅家の宗風です
 ( 如浄禅師にはそれがあり
 ( 他の人にはありませんでした

先師つねにいはく
三百年よりこのかた
わがごとくなる知識いまだいでず
諸人審細に
辨道功夫 bendo-kuhu すべし

 ( 如浄禅師はいつも述べられました
 ( この三百年、坐禅の中で
 ( 存在 [ 身体 ] それ自体から
 ( 宝珠を現わす智慧は消えてしまった
 ( ここに集った皆様は
 ( 坐禅修行を通してこの智慧を
 ( また少しずつ甦らせなければなりません



20210401SS00002.png

先師の会 e に
西蜀 sei-syoku の綿州人にて
道昇 do-syo とてありしは
道家流 do-ka-ryu なり
徒党 to-to 五人
ともにちかうていはく
われら一生に
仏祖の大道を辨取 ben-syu すべし
さらに郷土にかへるべからず

 ( 如浄禅師の道場に
 ( 西蜀 綿州 men-syu の人で
 ( 道昇という※道教の人がいました

   ※老子・荘子の教えを奉ずる人々

 ( 道昇は仲間五人と共に誓います
 ( 我等は、この一生の間に
 ( 仏祖の大道を会得しよう
 ( それまでは決して郷土に帰らずと

先師ことに随喜して
経行道業 kin-hin do-go
ともに衆僧と一如 iti-nyo ならしむ
その排列 hai-retu のときは
比丘尼 biku-ni のしもに排立 hai-ryu す
希代 ki-daio の勝躅 syo-tyokuなり

 ( 如浄禅師は
 ( それを聞き、とても喜ばれ
 ( 五人の道家の修行者を
 ( 出家修行者と同じく遇します
 ( 道場の者が並ぶ時は
 ( 尼僧の下に並ばせました
 ( 坐禅修行から仏道大道を
 ( 明らめんとする志を第一とし
 ( 出家在家を第一とはしなかった
 ( この如浄禅師の道場運営は
 ( 画期的なものだったのです

又 福州の僧
その名 善如 zen-nyo
ちかひていはく
善如 平生さらに一歩を
みなみにむかひてうつすべからず
もはら仏祖の大道を参ずべし

 ( 又 福州の僧で
 ( 善如という人が誓いました
 ( ほんの少しでも
 ( 引き返すことがあってはならない
 ( 必ずや仏祖の大道を明らめようと

先師の会に
かくのごとくのたぐひあまたあり
まのあたりみしところなり
余師のところになしといへども
大宋国の僧宗 so-syu の行持 gyo-zi なり

 ( 如浄禅師の道場には
 ( このような方が多くおられたのです
 ( 実際私はそれを見て来ました
 ( 他の道場におられなかったが
 ( これが大宋国の僧家の在り様なのです

われらにこの心操 sin-so なし
かなしむべし
仏法にあふときなほしかあり
仏法にあはざらんときの身心
はぢてもあまりあり

 ( 私達の道場にこの志がないことは
 ( とても悲しいことです
 ( 坐禅仏道に出会えてなおそうです
 ( もしここで坐禅仏道に
 ( 出会わなかったとしたら
 ( 私達の身心は暗黒の中に
 ( 佇むしかなかったのです






.

コメント

コメントの投稿

非公開コメント

プロフィール

佐々木正巳

Author:佐々木正巳
青葉坐禅堂



宮城県仙台市青葉区国見5-6-18
( 5-6-18 kunimi Aobaku Senndai )

090-7325-5711 佐々木正巳 まで










.

最新記事

カテゴリ