行 持 下 「 做手脚 sa-syu-kyaku 迄 ita らず 」
- 2021/01/27
- 06:22
正法眼蔵 行 持 下
「 做手脚 sa-syu-kyaku 迄 ita らず 」
又 況 iwa んや
百味の珍羞 tin-syu
逓 tagai に相 ai 供養し、道 i ふ
我は四事具足 sizi-gusoku して
方 masa に発心 ho-sin す可しと
( 先人方とは違い今日では
( 百味御馳走を供養して頂き
( そして述べるに
( 衣食住が整ってはじめて
( 発心修行が出来ると
只 恐らくは做手脚
sa-syu-kyaku 迄 ita らずして
便ち是れ生を隔て世を隔て去らん
時光 箭 ya に似たり、深く為に惜しむ可し
( 恐らくですが
( そのようでは手足を治めることが出来ず
( 面壁坐禅の真価を明らめず
( 去ってしまうかもしれません
( 月日は矢のように速いのに

然も是 kaku の如くなりと雖も
更に他人の長に従って
相 ai 度 wata るに在 a り
山僧、也 ma た
強 si-i て你 nanzi を教ふることを得ず
( しかしそうであっても、よい一面が
( おおいなる変化変容を
( もたらすだろうと推測されます
( 私 ( 道元禅師 ) が
( どうこう出来ることではありません
.