行 持 下 「 古聖の做処 」
- 2021/01/26
- 02:45
正法眼蔵 行 持 下
「 古聖の做処 」
你 nanzi 見ずや
達磨西来 sei-rai して
少室山 syo-situ-zan の下に到り
面壁九年す
( 知ってのとおり
( 達磨大師が西から来られ
( 少室山の下に到り
( 壁に向かって九年
( 坐禅をなされました
二祖、雪に立ち
臂 hizi を断つに至って
謂 ii つ可し、艱辛 man-sin を受くと
( 二祖慧可大師は
( 達磨大師の法を求めて
( 雪の中に立ち
( 自分の臂を断ちました
( これは自ら艱難辛苦を
( 受け入れたと言えます

然れども達磨 曾 katu て
一詞 i-si を措了 so-ryo せず
二祖 曾て一句を問著 mon-zyaku せず
( しかし達磨大師は
( 慧可大師に一言も説明せず
( 慧可大師は一言も尋ねませんでした
還って達磨を喚んで
不為人 hui-nin と作 na し得てんや
二祖を喚んで
不求師 hugu-si と做 na し得てんや
( だからと言って
( 達磨大師は何も説かなかった
( と言えるでしょうか
( 慧可大師はを何も求めなかった
( と言えるでしょうか
山僧、古聖の做処 sa-syo を
説著 setu-zyaku するに至るごとに
便ち覚 obo ふ身を容るるに地無きことを
懺愧 zan-ki す
後人 ko-zin の軟弱なることを
( 私( 道元禅師 )は
( 先人の行いを説く度に
( 身の置き場のない思いをし
( 私達後世の者が
( いかに軟弱であるか恥じるのです
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