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行 持  下  「 不虧 huki の人也 」



正法眼蔵 行 持  下
 「 不虧 huki の人也 」

投子 to-su は人をして
米 bei を辨 ben じ
同じく煮て共に餐 san せしむ
你 nanzi が事を省取 sei-syu することを得んと要す

 ( 投子禅師(805-914)は
 ( 皆と食べ物を分かち合います
 ( 共に食し、皆が坐禅に専念出来るよう
 ( はからったのです

且 sibara く
従上 ju-zyo の諸聖
此 kaku の如くの榜様 bo-yo あり
若 mo し長処無くんば
如何 ikan が甘 amana い得ん

 ( 祖師方はみな
 ( このように人々を坐禅へ導きました
 ( 坐禅に長所が無ければ
 ( そうしなかったはずです

諸仁者
若し也 ma た斯 koko に於いて
体究せば的 masa に不虧 huki の人也
若し也 ma た肯 ae て
承当 zyo-to せずんば
向後 ko-go 深く恐らくは力を費やさん

 ( もしここで体得すれば
 ( 欠けることのない人となります
 ( もし進んで努力しなければ
 ( これから苦労することになるでしょう


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 ( なぜ、祖師方は
 ( 坐禅を尊ばれたのでしょう
 ( ガツンと坐るその一瞬で
 ( 強固な鏡面がつくれるからです

 ( 「 宝鏡 」 とは、
 ( 端境(はざかい)・結界と言えます
 ( どんな心もその外には出れません
 ( そしてどんな心も気ままで
 ( 強固な運動エネルギーを持ってる
 ( 「 業 」 です

 ( 宝鏡結界を張ります
 ( そこで業を解放すればどうでしょう
 ( どの方向へ暴走しても
 ( 宝鏡結界に当たり反射します
 ( 外には出れません
 ( すべて中心へ逆走します

 ( 四面楚歌
 ( 一歩も外に出れないそれが
 ( 中心一点へ無窮の活路が通じる

 ( 結界が「 自閉 」 とならず
 ( 活路となるのは
 ( 結界の内壁が鏡面だからです
 ( 「 欠けることのない人 」 です

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