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行 持  下  「 心中無事 」




正法眼蔵 行 持  下
 「 心中無事 」


若し心中無事なることを得ば
仏祖猶ほ是れ冤家 on-ke の如し
一切の世事、自然に冷淡にして
方 masa に始めて
那辺 na-hen と相応せん


 ( 精神と二つの時間
 ( そして、五感(身体)
 ( これを、正十字に位置づけすると
 ( 「 心中無事なることを得る 」
 ( 心中無事なれば
 ( さらに神仏を志向することは
 ( むしろ 「 あだ 」 となります
 ( 正十字の座卓が整ってゆくと
 ( 神仏を含めた世事全般から
 ( 自然と離れてゆきます



20210108SS00005.png



 ( 坐の行持が
 ( どこまでも第一義になってる
 ( 仏教史からも思想史からも
 ( 何故そうなるかを
 ( 理解するのは困難と言えます
 ( 正法眼蔵を読んでも
 ( そのような使命感は出て来ません
 ( しかし、シュタイナー先生の
 ( 「 心魂十字図 」 を見てると
 ( そうならざるをえないかも、と思えて来ます



20210108SS00007.png




 ( 過去から来る記憶表象
 ( 未来から来るあせり不安希望
 ( 前後から二つの時間がやって来ます
 ( この二つは目には見えない
 ( 心魂的なものです
 ( この前後腰腹、過去未来に対して
 ( 精神が直角に交差します
 ( これも目には見えません
 ( 唯一確認出来るのは
 ( 垂直に精神が打ち込まれる
 ( 「 身体 」 です
 ( この図の通り身体に対して
 ( 精神が垂直に打ち込まれたとしたら
 ( どうなるでしょうか
 ( 足の裏まで
 ( 精神を打ち込まれたとします
 ( 坐禅の形になってしまいます

 ( 余談となりますが
 ( 昔、武士が坐禅を組んだのは
 ( 足の裏、鼻緒の場所が
 ( 活きてなければ剣が活きないから

 ( また、奈良薬師寺の
 ( 「 仏足石 」 が国宝なのは
 ( 精神が身体を貫き
 ( 鼻緒の場所を活かすことが出来
 ( ここから力が出せると
 ( 健康が、破られることはないから





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プロフィール

佐々木正巳

Author:佐々木正巳
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「国際交流のための坐禅会」

(ご希望に合わせ随時開催・参加費無料)

2006 東京国立博物館(上野) にて開催
2006~2015 仙台国際センターにて毎月開催
2022 ~  仙台 国見にて随時開催





道元禅師が述べられる 「 正 法 」 は、坐禅に他なりません
Dogen Zenji's definition of "true Dharma" is nothing other than zazen.
生涯が終わる時、私達はこの身を後にします
身体を持たない心魂の精髄が
その後どのように歩んで行くかは、想像すること能わずです
When our lifetime ends, we leave this body
The essence of the mind and soul without a body
We cannot imagine how we will go on after that.

このレポートでいつも述べている
「 身体の中に線を引いて、それを見えなくなるまで細くする 」
I always state in this report.
Draw a line through the body
and make it thinner until you can't see it.
深い眠りに落ちてゆく感じ、そんな感じがします
睡眠では、意識は途切れてしまいます
一方、「 線の見えない化 」 では意識は当然継続してます
「 線の見えない化 」 と言う、とても積極的行為をしてるのですから
The feeling of falling into a deep sleep
That's what it feels like.
In sleep, consciousness is interrupted.
On the other hand
In "Make Lines invisible ," Awareness Continues, of Course.
「 Make Lines invisible  」  It's a very positive act.

これは、とても不思議な物事の進め方です
「 身体から離れる 」 これを現出させるために
身体の造形行為を、その発射台に活用してます
This is a very strange way of doing things!
In order to manifest this " leaving the body "
I use the act of modeling the body as a launching pad.

「 身体から離れる 」 しかも意識を保っている
何故、これが 「 道 」 なのでしょう
" leaving the body "  and still conscious.
Why is this a "true meaning"?

人は、パンがなければ生きていけない
それを、否定できないでしょう?
それに対する答えは、「 人はパンのみに生きるにあらず 」
悪魔と、キリストとの間でなされた問答です
People can't live without bread.
You can't deny that, can you?
The answer to this question is that man does not live by bread alone
A Question and Answer Between the Devil and Christ

悪魔は、パンを足掛かりに人を操る
身体を足掛かりに、人を操るとも言えます
The devil uses bread as a stepping stone to manipulate people.
It could also be said that
the body is his stepping stone to control us.

しかし、悪魔は私達が進化するために
そのような役割を担ってるとも言えます
But the devil is for us to evolve
It can be said that it plays such a role.

意識は保たれている、しかも身体から離れてる
同時に、坐禅と言う造形を継続してるのですから
身体から離れてないとも言えます
まるで、悪魔を無力化してお縄にしてるようです
Consciousness is maintained.
And it's far away from the body.
At the same time, you are continuing the form of zazen.
you can say that you are not detached from your body.
It's as if he's incapacitating the devil and putting him in a noose.

では、悪魔の方から見たら
それはどんな場面となるでしょう
So, What would this scene be like
from the devil's point of view?

「 やれやれ 」 でしょうか
人の魂を進化させるための鬼コーチ
やっとその任務から解放されます
Good grief, right ?
strict coaches for Evolving Human Souls
He is finally free of that mission

坐禅の中にある解放感
これは坐禅をしてる人の解放感ではなく
人間に関わらざるを得なかった悪魔の解放感だと
任務は終った、霊界へ帰ろう、でしょうか
A sense of liberation in zazen
This is not a sense of liberation for the zazen practitioner.
but the liberation of the demons
that had to be involved with human beings.
I have completed my mission,
let's go back to the spirit world, shall we ?








宮城県仙台市青葉区国見5-6-18
( 5-6-18 kunimi Aobaku Senndai )


仙台にお越しの折は
気軽にお寄り下さいませ

ご連絡先はコチラでした!
090-7325-5711



師 沼田 勇 先生 



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文章を通しての師

Rudolf Steiner 先生
沢木 興道 老師 ( 曹洞宗 )


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