行 持 下 「 龍象蹴踏 」
- 2020/12/14
- 11:12
正法眼蔵 行 持 下
「 龍象蹴踏 」
大潙山 dai-i 大円禅師は
百丈 hyaku-zyo の授記 gyu-ki より
直に潙山の峭絶 syo-zetu にゆきて
鳥獣為伍 i-go して、結草修練す
風雪を辞労することなし
橡栗充食 syo-ritu zyu-ziki せり
( 潙山霊祐禅師 「 771~853 唐代 」 は
( 百丈懐海禅師 「 749~814 唐代 」 から
( 坐禅の法を受け継つぎます
( その後、険しき潙山の山を坐禅の地に選びます
( 鳥獣を友として草庵を結び
( 坐禅の行持を続けられました
( 風雪を苦とせず
( とちの実や栗を食料にします

堂宇 do-u なし常住 zyo-zyu なし
しかあれども行持の
見成 gen-zyo すること四十年来なり
のちには海内の名藍 mei-ran として
龍象蹴踏 syu-to するものなり
( 建物や仏具は粗末でしたが
( 坐禅の行持が
( 四十年にわたり行われます
( 後に天下の道場となり
( 多くの修行者が集まることとなります

( ほぼ、アウトドアな生活
( それでも豊かに暮らされた
( 隠れ年金を受けておられた
( 隠れ資産お持ちだったと推測されます
( 前方「 未来 」 と
( 後方「 過去 」 とが
( 今ここに集結し
( 真上から精神が垂直に射します
( 時空が十字の宮殿を形成しています

( 望洋と未来が続いてる
( そうならずに
( 欲望も不安もこちらに流れて来る
( 「 如来 」 として受け止めてる
( これはフィクションと言えばフィクションですが
( そうすることで未来を
( 欲望や不安を腹筋・力に変えています

( 直線上の腰腹同量、その感覚のスイッチを
( どのようにして ON にするかが問題です
( 「 足の親指の内側 」 と 「 踵 」 へ
( 耳を傾けるくらいな
( ほんのわずか意識を送りこみます
( 足の裏のこの二か所が微妙に活きると
( それが指揮者になって
( 身体中央の 「 腰腹同量 」 が
( 実感として浮かび上がります

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