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行 持  下  「 慕 古 」




正法眼蔵 行 持  下
 「 慕 古 」


長慶 tyo-kei の慧稜 e-ryo 和尚は
雪峰下の尊宿 son-syuku なり
雪峰と玄沙とに往来して
参学すること僅 kin 二十九年なり
その年月に、蒲団二十枚を坐破す

 ( 長慶慧稜禅師 854~932 は
 ( 雪峰門下の優れた方です
 ( 雪峰禅師と玄沙禅師のもとで
 ( ほぼ二十九年学びました
 ( その年月、坐蒲が押しつぶされ
 ( 坐蒲を二十枚を更新されました

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いまの人の坐禅を愛するあるは
長慶をあげて慕古 mo-ko の勝躅 syo-tyoku とす
したふはおほし、およぶすくなし

 ( 坐禅を愛する人があれば
 ( 長慶禅師こそ
 ( 慕うべき優れた先人と言えます
 ( しかし、慕うことは出来ますが
 ( およぶことは難事と言えます

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しかあるに
三十年の功夫むなしからず
あるとき凉簾 ryo-ren を
巻起 kanki せしちなみに
忽然 kotu-nen として大悟す

 ( しかし、長慶禅師三十年の探求は
 ( 無駄にはなりませんでした
 ( ある時すだれを巻き上げている時
 ( 忽然と大悟します


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三十年来かつて郷土にかへらず
親族にむかはず
上下肩と談笑せず
専一に功夫す
師の行持は三十年なり

 ( 三十年来 、郷土に帰らず
 ( 親族と交流せず
 ( 僧堂の修行者と談笑せず
 ( 専一に探求精進します
 ( 師の坐の行は三十年に及びます

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疑滞 gi-tai を
疑滞とせること三十年
さしおかざる利機といふべし
大根といふべし
励志 rei-si の堅固なる
伝聞するは或従 waku-zyu 経巻なり

 ( 疑問を疑問として
 ( 持ち続けること三十年
 ( 優れた人物と言うべきであり
 ( 大根気と言うべきです
 ( このように志の堅固な人を
 ( 伝え聞くのは、経典の中ぐらいです

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ねがふべきをねがひ
はづべきをはぢとせん
長慶に相逢 so-ho すべきなり
実を論ずれば、ただ道心なく
操行 so-gyo つたなきによりて
いたづらに名利には繋縛 ke-baku せらるるなり

 ( 願うべきを願い
 ( 恥ずべきを恥じようとするなら
 ( この長慶禅師に思いをはせるべきです
 ( 現実はと言うと
 ( 道心が深まらず、修行が浅くなり
 ( 名利に取り込まれてしまうからです

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.....万象の中、独り身を露 arawa す
........人、自ら肯 ukega わば
........すなわちまさに親しからん
........昔時 seki-zi 謬 ayama って
........途中に向かって求む
........今日看れば
........火裏 ka-ri の氷の如し................

....................長慶慧稜禅師 854~932


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 ( これは千百年前、中国の
 ( 長慶慧稜禅師が残された詩です
 ( これを シュタイナー先生が示された
 ( 十字心魂図から読み解きます
 ( 初句の 「 万象の中、独り身を露 arawa す 」
 ( これは、 D の形・坐形がある意味
 ( A・B・C と分離したよう、客観的に現れる
 ( その心象に合致します


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 ( 「 人、自ら肯 ukega わば
     すなわちまさに親しからん 」
 ( 坐形、坐禅の姿を
 ( 長慶慧稜禅師は三十年探求された
 ( 精神・自我を物質としての身体に
 ( 三十年、打ち込むのですが
 ( 身体を精神・自我で貫くことは難事です
 ( 身体には過去からの記憶表象と
 ( 未来から迫り来る欲望や不安が浸透してるからです
 ( 身体に芯を通そうとしても屈折してしまいます
 ( 「 自ら肯 ukega う 」 「 よしとする 」
 ( 身体を表す「月」へん、そこに止まる
 ( 文字の通り、「 肯 」 です
 ( 身体に止まるとは、何でしょうか
 ( 普通、時間は一方向に流れています
 ( 身体に止まる時
 ( 欲望や不安は先にあるのではなく
 ( 未来から今ここへ
 ( この身体へ流れて来ます
 ( 過去からの流れと
 ( 未来から来る流れを今ここで受け止める
 ( これが哲学や抽象論にならないのは
 ( 左右二方向の時間を 「 肯 」 の時
 ( 身体において腰(力)腹(力)が同量対峙します
 ( これは肥田春充先生の腰腹同量にも合致します


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 ( 下腹に力を込める
 ( これが格言に終わらず、生きた教訓になるには
 ( 下腹の力が何処から来るか
 ( それは、未来から迫りくる欲望や不安である
 ( そうとらえると、その力に困ることはないと言えます
 ( 欲望や不安が今ここにやって来て
 ( 腹力となり、身体と精神に垂直に交わります
 ( 燃えるような欲望や不安
 ( それが他と十字に交わることで
 ( 「 火裏 ka-ri の氷の如し 」 に変わる
 ( 咎 toga が消える、問題でなくなる
 ( そして、「 氷の如し 」 には
 ( 坐形、坐禅の姿が自分でありながら
 ( 客観的に浮かび上がる
 ( この心境を表現していると言えます



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 ( 記憶表象・欲望不安
 ( そして生身の身体と
 ( それを無理やり造形しようとする精神
 ( これらが混然一体ならば
 ( とてもそんな苦行が
 ( 三十年続くわけがありません
 ( 長慶慧稜禅師は三十年に渡り
 ( それらをきれいに分離し
 ( それらのどれも否定することなく
 ( 坐禅十字の中に再構築されたと言えます





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