行 持 下 「 頭陀 zu-da 」
- 2020/12/07
- 11:30
正法眼蔵 行 持 下
「 頭陀 zu-da 」
福州 玄沙 gen-sya 宗一大師
法名は師備 shi-bi
福州 閩県 min-ken の人也
姓は謝氏 sya-si なり
幼年より垂釣 shi-tyu をこのむ
小艇 ko-bune を
南台江 nandai-ko にうかめて
もろもろの漁者になれきたる
( 福州の玄沙宗一大師
( 出家の名を師備
( 玄沙師備禅師 「835-908」 は
( 福州 閩県 min-ken の方です
( 俗姓は謝 sya
( 幼年から釣りを好み
( 小舟を南台江に浮かべて
( 漁師に慣れ親しんでいました

唐の咸通 kan-tu のはじめ
年甫 nen-po 三十なり
たちまちに出塵 syutu-zin をねがふ
すなはち釣舟をすてて
芙蓉山霊訓禅師に投じて落髪す
予章開元寺
道玄律師に具足戒をうく
( 唐の咸通年間の初め
( 三十歳になると
( 急に出家を願い求めました
( そこで釣舟を捨てて
( 芙蓉山の霊訓禅師のもとに
( 身を寄せて髪を落とし
( 予章 開元寺の道玄律師について
( 出家の具足戒を受けました

布衲芒履 hu-no mo-ri なり
食は、わずかに気を接 tu ぐ
常に終日宴坐 en-za す
衆、皆 これを異なりとす
( 木綿の衣に、わら草履を履き
( 食は、ほんのわずかでした
( 終日、坐禅をなされていました
( ずば抜けた修行者と
( 皆が認めていました

雪峰義存 se-po gi-son と
もと法門の昆仲 kon-tyu なり
しかも親近sin-gon すること
師資 si-si のごとし
雪峰、その苦行を以て
呼んで頭陀 zu-da と為す
( 玄沙師備禅師と
( 雪峰義存禅師 「822-908」 は
( 同じ門下の弟子兄弟でしたが
( 師弟のように親しい仲でした
( 雪峰禅師は
( 玄沙師備禅師の行を
( 「 頭陀 zu-da 」 小欲の行と呼びました

一日、雪峰問て曰く
「 阿那箇 a-nako か是 kore 備頭陀 bi-zuda 」
師、対 kota へて曰く
「 終 tui に敢 ae て人を誑 tabura かさず 」
( ある日、雪峰禅師が問います
( 小欲を整えておられるのは、なにゆえですか
( 玄沙師備禅師が答えられます
( 自身を惑わさない
( そう自心を指導しています
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