行 持 下 「 身命無常 」
- 2020/11/08
- 06:02
正法眼蔵 行 持 下
「 身命無常 」
国城は他人にもうばはる
親子にもゆづる
身命は無常にもまかす
主君にもまかす、邪道にもまかす
しかあれば、これを挙して
報謝に擬するに不道なるべし
( 国や城は奪われます
( 親子で継承される事もあるでしょう
( はかない身命は
( 主君に仕えたり、邪に仕えたりです
( そのような国城や身命
( 目に見えるもので報いるのではなく
( 「 行い 」 で報います

( 実際、坐禅に挑んでも
( 二祖慧可大師
( 「 慧可断臂 eka-danpi 」
( これを身近に感じる
( とは、中々いかないので
( 気長に修行しないと無理だ
( これはありですね

( 3D座標系に
( 身体を合わせる
( 静かにそうしようと思うと
( 坐禅の形になるので
( 坐禅のスキームじたい
( 「 別に? 」 とも言えます

( 高級?高額? な
( 「 椅子 」 って
( 坐るとやっぱ違うなぁ ・ ・
( それはありですね
( 「 別に? 」 な坐禅すわり
( やっぱ違うなぁ ・ ・な点は
( お尻を上げて坐るところ
( でしょうか

( 個人的には
( 禅宗で言うところの
( 「 坐蒲 za-hu 」 のかわりに
( 座布団カバーにバランスボードをいれ
( その代用です &、その下に板を置いて
( わざと不安定にして坐ってます
( 「 やじろべい 」 な一点構築
( その方が身体で十字をとりやすいので

( ここで素朴な疑問です
( 身中に十字を切って
( それから中心を記憶して
( 3D座標線を断ち切るわけで
( そんなめんどくさい事しなくても?

( 達磨大師から
( 二祖慧可大師へ
( そして、道元禅師へと
( この坐禅を尊ぶ系譜、祖師方
( この方々は実は
( とっても現実主義者だった
( そう推測されます
( 自分はともかくとしても
( 自分が付き合う人って
( どんな人がいいでしょうか

( もしその方が
( 坐禅を尊び、坐禅を
( 心身の標準に努めようとしてる
( そんな方なら、その方に流入する
( 言葉や出来事は
( 「 慧可断臂 eka-danpi 」 により
( 「 とげ 」 が断ち切られ無問題化します
( 心理カウンセラーのように
( しっかり聞いてくれて
( しかもそれがその方の中で
( 寂滅して行くのが実感できる

( その、「 とげ 」 の寂滅 ing を見てると
( なんか自分もつられて
( そんな事、「 別にィ? 」 だったんだ
( って気になっちゃう
( そんな方が社会に普及したら
( それは住みやすい世界になるかも
( 祖師方は、高尚な事してた
( と言うより、とても現実的な事に
( 着目されておられたんだろう、ですね

( 怒り恨みつらみ
( その反作用の過剰な希望
( この「 とげ 」 が伝播連鎖してゆき
( 何か分かんないけど
( どんどんぐちゃぐちゃになってく
( 誰かがどこかで断ち切らなきゃ!
( これは現実の課題ですね
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