行 持 下 「 深山高峰の冬夜 」
- 2020/10/27
- 09:43
正法眼蔵 行 持 下
「 深山高峰の冬夜 」
このとき窮臈寒天
kyu-ro-kan-ten なり
十二月初九夜といふ
天大雨雪ならずとも
深山高峰の冬夜は
おもひやるに人物の
窓前に立地すべきにあらず
竹節なほ破す、おそれつべき時候なり
( 二祖慧可大師が
( 達磨大師を訪ねられたのは
( 年の瀬、十二月九日の夜でした
( 深山高峰の冬夜、外にはいられません
( 寒さが竹の節が割る
( 厳しい時節です
しかあるに、大雪匝地 daisetu-soti
埋山沈峰なり、破雪して道をもとむ
いくばくの嶮難 ken-nan なりとかせん
( その日は一面の雪景色でした
( 雪が山を埋め、峰を隠しています
( 雪をかき分けかき分け進んで行きます
( その難儀、いくばくであったか
つゐに祖室にとづくといへども
入室ゆるされず
顧眄 komen せざるがごとし
この夜、ねぶらず、坐せず
やすむことなし
堅立不動にしてあくるをまつに
夜雪なさけなきがごとし
( 困難のすえ、少林寺へ至ります
( しかし達磨大師は面会を許さず
( 顧みることすら、なされません
( 慧可大師はこの夜
( 眠らず、坐らず、休まず
( 堅固に立ち夜明けを待ちます
( 情け容赦なく、夜雪が舞ってます

( 二祖慧可大師は
( 神鬼ともに慕い
( 道俗みな尊重せし高徳の方です
( そのような方が、守道神に導かれ
( 達磨大師に会うため少林寺へ赴きます
( しかし、面会は許されません
( 夜の雪の中に立っています
( 夜明けを待っています

( 暖炉の間に通され
( 香茶菓子を振舞われ
( 楽しく歓談の時間を過ごされた
( 丁重に準備された寝室で
( ゆっくりお休みになられた ・・
( とは、なりませんでした

( もともと
( 達磨大師は
( なにゆえ中国へ
( 参られたのでしょう
( 「 救迷情 」 迷情を救う
( その具体的方法の
( 面壁坐禅の法を伝えるためです

( 迷情とはなんでしょうか
( 私達の心魂に生き続ける
( 成仏する事が出来ない
( ピリオドを打てない
( 見捨てられた記憶表象です

( 二祖慧可大師は
( 少林寺に至り、その夜は
( 「 夜雪なさけなきがごとし 」
( その中に一人立たれ
( 夜明けをお待ちになられます
( これは、物語りの順序が
( 逆になってるよう思われます

( 面壁坐禅の法
( これを受け継ぐ祖師方
( 氷の世界・迷情に対峙し
( それを温めなされます
( その任務を遂行なされます
( 極海を進む砕氷船のようです

( その後、達磨大師から
( 二祖慧可大師が継承なされたもの
( それは、どのような行持でしょうか
( 十二月九日の夜
( 「 夜雪なさけ無きが如し 」
( その真夜中にあって
( 一人立ち、夜明けを待つ
( これこそが、継いで伝えた
( 面壁坐禅、その内容だったと思われます

( 悟りを開いて
( 穏やか幸せに暮された
( ・・・ とはなされてません
( 地獄、氷の世界に対し
( 面壁坐禅その一刀をもって戦われた
.