行 持 下 「 大 恩 」
- 2020/10/19
- 01:34
正法眼蔵 行 持 下
「 大 恩 」
一句の恩なほ報謝すべし
一法の恩なほ報謝すべし
いはんや
正法眼蔵無上大法の大恩
これを報謝せざらんや
( 何気ない言葉や
( 何気ない指導も
( その方の 「 いつくしみ 」 から
( 発せられています
( いわんや
( 正法眼蔵、面壁坐禅の法は
( 手足頭を軽くし、心身の中心に
( 「 いつくしみ 」 の温かさを育む
( その具体的方法です
( それを伝えようとなされた仏祖方の
( 「 いつくしみ 」 は幾ばくかです

( 3 D 座標系の六本の矢
( それらすべてが外へ向くのではなく
( この座標系の中心へと向いてる
( これが正法眼蔵の面壁坐禅と言えます

( 座標系六本の中で
( 前方からと、上方からの矢
( この二本を見てみます
( 前方から矢が打ち込まれます
( なんとなく歩みを進める、ではなく
( 未来が私に問います

( 問いかける未来とは何でしょう
( それって 「 欲 」 って言うことでしょうか
( 好き嫌いから高尚な理想
( あるいは邪悪な欲望まで多種多様です
( 正法眼蔵の面壁坐禅では
( それが前方から問いかけます
( 問いかける未来に
( 上方からの矢が垂直に対峙します

( 頭欲一杯で進むでなく
( 頭は下方へ垂直におり
( 問いかける未来 ( 欲 ) に垂直に交差します
( これって判断を下す、と言うことでしょうか
( 普通判断は、欲の 「葛藤の結果」 な感じがします
( しかしこの判断は、欲とは無縁で
( 欲に対し垂直に打ち込まれます
( 一刀両断、天剣の趣です

( 頭から垂直に振り落とされる一刀
( 「 欲 」 ( 問いかける未来 ) には
( なすすべなしです
( これが正法眼蔵の面壁坐禅の
( 一つの機能でしょうか
( そして前方から問いかける 「 欲 」 と
( 背後から来る流れは
( 直線上で真逆に対峙してます

( 背後からの流れは
( 通常意識されてる時間表象
( 意識・無意識の記憶でしょうか
( 意識・無意識の記憶 ( 時間 ) と
( 多種多様な欲が直線上で対峙してる
( これって ?
( 問いかける未来って、もしかして
( 過去の意識・無意識の記憶
( その鏡像になってる ?
( 実は死んでいない過去が
( 自己を主張してるのが
( 一見フリーな、問いかける未来
( その実体なんですか

( 正法眼蔵の面壁坐禅
( 垂直に振り落とされる天剣一刀は
( 問いかける未来と
( その元である過去記憶を
( 一点へ集め、天剣一刀を下します
( しかし、この天剣が成仏せしめるのは
( 記憶の中で、思い出せない
( 無意識の記憶ではないでしょうか
( それは単なる記憶ではなく
( 生きた実体として存在してるから問題です
( この記憶実体がつくる
( その鏡像の 「 既定された欲 」
( この欲は問いかけてる、のではなく
( 運命を既定しよう、としてるかのようです

( 既定された欲が
( あたかも自由選択かのよう
( 自分を動かしてゆく
( でもそれって、その既定が
( なんか問題あるんじゃない、って言う
( 過去の自分に由来してたら
( 例えば怨念や
( いき過ぎた欲望の続きだとしたら
( そして、今の自分は
( それを思い出せないとしたら
( それってもう浮かび上がる事が
( 出来ないって事? ってなっちゃいます
( なぜ仏祖方が達磨大師が
( 正法眼蔵面壁坐禅の法を
( 伝えようとなされたか
( その所以が、ここにあると思われます

( 「 正法眼蔵無上大法の大恩 」
( そう言われても普通、何のことやらです
( では何故、面壁坐禅でそうなるのか
( それは普通気付きえない
( 欲望と未来のカラクリが祖師方には
( 自然観察のように見えてたから
( そう推測すると、合点がいきます
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