行 持 下 「 愛 惜 」
- 2020/10/13
- 07:00
正法眼蔵 行 持 下
「 愛 惜 」
禽獣よりもおろかなる恩愛
をしむで、すてざることなかれ
たとひ愛惜 ai-zyaku すとも
長年の友なるべからず
( 恩愛は自然に起こりますが
( からめとられてしまいます
( 愛し惜しんだとしても
( うたかたのよう去って行きます
あくたのごとくなる家門
たのみてとどまることなかれ
たとひとどまるとも
ついの幽棲 yu-sei にあらず
( 家門は頼りになりますが
( 安住の家は自分で建てるしかありません

( 深い怒り 深い恨み とか
( それは一度生まれちゃうと
( 本人から離れ
( 独自の生を歩み出しちゃう
( そして、その苦しみは
( そのもの自身では終止符を打てない
( としたら、その 「 ピリオドの法 」 が
( 必要となるだろう、これは分かります

( ネガティブな事じゃなく、この一節では
( 「 ポジティブ 」 な方を扱ってます
( 恩愛や家門に誇りを持つ事は
( 大事なことのよう思われます
( 何か問題あります ?
( 風 ( 気体 ) なんとなく
( 水 ( 液体 ) 明らかに実体化
( 土 ( 固体 ) 確固たる信念
( 風で止めれば、一見無害な感じ
( 水に進むと、既定化されちゃってる
( 土まで行くと、他を否定しちゃう ?

( 信念や信仰 ってとても大事だけど
( 取り扱い注意なとこは、ここでしょうか
( 何気、土 ( 固体化 ) へ向かう
( どんなもんでしょ ・・ なら無害ですが
( ありえない → 暴力的否定 まで行くと
( ポジティブなのかネガティブなのか
( わけ分かんなくなっちゃう

( さて、面壁坐禅では
( 心中に魂の骨格を
( 下書きしてる必要があります
( そしてその下書きの線描は
( 建築 ( 坐禅 ) から逆算され
( 内十字なる構造力線にならざるをえません
( 別に他の構造力線でもいいのですが
( そうしますと
( 建築 ( 坐禅 ) が成立しません
( 揺れ出しちゃう
( 気が外に向いてるので、さもありなんです

( 坐禅の構造力線、内十字
( なんとなくなので
( 「 風 道 」? の如しでしょうか
( 固体化した思いが、流動化して
( 「 風 道 」 に沿って
( 十字中心へ導かれます
( 風 → 水 → 土 の傾向を
( 逆に戻ります
( 土 → 水 → 風 って 戻る

( 土 → 水 → 風 って 戻って
( 的を射てから、矢を放つ
( を採用するなら、思いは十字の
( 中心へと集約されます
( 土 → 水 → 風 って 変化して
( 中心では、次の、元の
( 「 火 」 に帰るのでしょうか
( なんか理科の実験してるみたいです

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