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行 持  下  「 報 謝 」



正法眼蔵 行 持  下
 「 報 謝 」

しかあれば、祖師の大恩を
報謝 ho-sya せんことは
一日の行持なり
自己の身命をかへりみることなかれ

 ( 達磨大師の大恩に報いるということは
 ( 今日の行持である面壁坐禅
 ( すなわち身に内十字を切る事に他なりません



20201012SS00001.png
 ( 「 救迷情の自己なるゆゑに
 (  ................驚疑なく、怖畏 hu-i せず 」
 (  8/29 http://newstoday.jp/blog-entry-13.html
 ( 道元禅師がここで御使用されてる
 ( 「 自己 」 という言葉は
 ( 心を内十字に運用した時の
 ( 自分の在り様の事でしょうか

 ( 心を、どのように運用するかによって
 ( 第一人称である自分は
 ( 様々な在り様に変化するかのようです



20201012SS00002.png
 ( 東洋において 「 道 」 という言葉が
 ( 使用された由縁がここから推測されます
 
 ( 魂の骨格 ? をどのように描こうか
 ( route 心の進路航路を描こう ! でしょうか
 ( 坐禅が無意味に思われるのは
 ( 姿勢を正す事には、意味がないから
 ( 無意味に思うのは正常な反応かも知れません
 ( ではどこが貴いのでしょう



20201012SS00003.png
 ( 坐禅するには、身体以前に
 ( その坐禅の骨格を
 ( 心中に 「 下書き 」 する必要があります
 ( アイデアがあって、構造設計がなされ
 ( 図面が引かれて、そして着工建築
 ( 順番が逆になる事はないはずです



20201012SS00004.png
 ( 達磨大師や道元禅師が
 ( 坐禅を尊ぶ所以がここに見て取れます
 ( 坐禅と言う建築を完成させるには
 ( 心中に魂の骨格を
 ( 下書きする必要があるから ・・・
 ( そしてその下書きの線描は
 ( 建築 ( 坐禅 ) から逆算されて
 ( 内十字なる構造力線にならざるをえません



20201012SS00005.png
 ( 内十字なる構造力線とは
 ( どのようなものでしょうか
 ( それは
 ( 自ら消滅することが出来ない迷情
 ( それを中心へ誘導し寂滅せしめます
 ( この route 構造こそが
 ( 面壁坐禅にかくされた
 ( 本領本懐であるとするとします
 ( この仮定から
 ( 達磨大師や道元禅師がなぜ
 ( そこまで坐禅を推奨なされたか
 ( すこしですが、推測することが出来ます







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