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行 持  下  「 慚 愧 」




正法眼蔵 行 持  下
 「 慚 愧 」

正法にあふ
今日のわれらを
ねがふべし
正法にあふて
身命をすてざるわれらを
慚愧 zan-ki せん
はづべくは、この道理をはづべきなり


 ( 身動き出来ない存在
 ( それを救済解放してあげられる
 ( その貴重な正法、すなわち面壁坐禅
 ( これに今日出会えた事は、奇跡的なことです
 ( 出会えたのに、出来るのに
 ( してあげない、という事がありえるでしょうか



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 ( 呪いをかけられたように
 ( 身動き出来ない存在があります
 ( 見る事能わずですが、感じる事は出来ます
 ( こちらが悪かったのもありますが
 ( いきなりクラクションとか鳴らされると
 ( ドキィっとして、カっと怒りが湧き立つとか
 ( ばかばかしいと思っても
 ( その怒りは、消えて ・・ と思っても
 ( すぐには、消えてくれません



20201011SS00002.png
 ( ワーグナーの作品
 ( 『 パルジファル 』  ( 全3幕 )
 ( を見てみます
 
 ( 若く新しい王アンフォルタスは
 ( 魔術師クリングゾルの征伐へ赴きます
 ( でもクリングゾルがさしむけた謎の美女に誘惑され
 ( 聖槍 sei-so を奪い取られたうえ
 ( その聖槍で脇腹に傷を負ってしまいます
 ( それ以来、アンフォルタス王の傷口は癒えず
 ( 日夜その苦痛に苛まれます
 ( そのようなアンフォルタス王に、ある日、神託が下ります
 ( 「 同情(共苦) によって叡智に至る
      神に選ばれた純粋な愚か者を待つように 」
 ( その者が聖盃の城に救いをもたらすと



20201011SS00003.png
 ( 同情(共苦) によって叡智に至る
 ( これはワーグナーの言葉ですが
 ( 達磨大師の面壁坐禅とは、何をなさってるのか
 ( この言葉で近づけるかと思われます
 
 ( 常識的には坐禅の姿は
 ( 何を不自然な事をしてるのだろう
 ( と映ります
 ( 半寝瞑想でもなく、思慮の時間でもない
 ( 駅のホームにいるように
 ( ごく当たり前で、姿勢が坐禅の姿です



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 ( ワーグナーの 『 パルジファル 』 では
 ( パルジファルは聖槍 sei-so を片手で掴み
 ( 頭上にかざし十字の印を切ります
 
 ( 十字の印を切るとは
 ( 何を、なさっているのでしょうか
 ( 達磨大師は面壁坐禅において
 ( 外に十字を切るのでなく
 ( 身中に十字を切られておられます

 ( パルジファルの聖槍の十字も
 ( 面壁坐禅の身中の十字も
 ( その十字は外へ放射しているのではなく
 ( 四本の矢はすべて、内へ向いてるとします



20201011SS00005.png
 ( 内へ向いた四本の矢
 ( それは中心点に帰結します
 ( そこには、誰がいるでしょうか
 ( そこにいるのは、私自身に他なりません
 ( 「 同情(共苦) によって叡智に至る 」
 ( そこらじゅうに、消える事が出来ない
 ( 苦悩苦痛が散乱してるとします
 ( それらが、中心へ私へ集まって来ます
 ( それが十字の内容と言えるかも知れません
 ( 「 同情(共苦) によって ・・ 」 です
 ( ホラー映画を何本も同時に見るようで
 ( 精神錯乱しちゃいませんか ?
 ( しかし、文章はそこで終わらず
 ( 「 同情(共苦) によって叡智に至る 」
 ( その十字が叡智に至ると書かれています



20201011SS00007.png
 ( 内十字を切るとは
 ( どう言うことでしょうか
 ( 苦悩がすべてが私に集まって来ます
 ( 同情(共苦) です
 ( これって、その事自体が
 ( 「 私 」 が機能したとも言えないでしょうか



20201011SS00008.png
 ( 自分は日本語で思考してます
 ( 様々の言語で 「 一人称 」 があると思います
 ( 日本語なら
 ( 「 わたし 」 「 自分」 「 ぼ く 」 「 われ 」
 ( そこで、その中で別格の一人称として
 ( 「 私 」 を使おうと思います
 ( この 「 私 」 は、人間関係の中のそれでなく
 ( 自分が自分を指し示す一人称とします
 ( 自分が自分を指し示すとは
 ( どう言うことでしょうか
 ( これがそれが、私自身なのだ
 ( あなた自身なのだ、とならざるを得ません
 ( 「 同情(共苦) によって ・・ 」 です
 ( これってとんでもない一人称です
 ( 苦悩は避ける、他へ押し付ける、見捨てる
 ( その反対です



20201011SS00009.png
 ( この 「 私 」 が機能する時
 ( 心に内十字が、切られています
 ( そしてこの一人称は別格の一人称です
 ( 「 同情(共苦) によって叡智に至る 」
 ( この文章を逆に読んでみます
 ( 叡智には、同情(共苦) が可能だ
 ( とも読めます
 ( そしてまた順に読めば
 ( 同情(共苦)によってのみ、叡智へ至れる
 ( そう読むことが出来ます



20201011SS00010.png
 ( 何をなされておられるのですか?
 ( な、達磨大師の面壁坐禅
 ( 内十字が、切られてます
 ( 別格の 「 私 」 が機能してます
 ( 同情(共苦) がなされています
 ( = 叡智がそこに機能しておられる
 ( と、言えるのではないでしょうか


20201011SS00011.png







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プロフィール

佐々木正巳

Author:佐々木正巳
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「国際交流のための坐禅会」

(ご希望に合わせ随時開催・参加費無料)

2006 東京国立博物館(上野) にて開催
2006~2015 仙台国際センターにて毎月開催
2022 ~  仙台 国見にて随時開催




何故、坐禅は継続出来るのか?
Why can zazen be continued? (2)


頭で天を衝き、腰を大地に埋める
With your head, hit the sky.
Bury your waist in the earth

身体(身長)の上限下限が明らかになります
骨格の上限下限が明らかになるとも言えます
The upper and lower limits of the body (height) will be revealed.
It can also be said that the upper and lower limits of the skeleton are revealed.

私達は身体(骨格)の先端に立ちます
これは寝てるような状態
骨格がフリーな状態になります
We stand at the tip of our body (skeleton)
This is like sleeping
The skeleton is in a free state




宮城県仙台市青葉区国見5-6-18
( 5-6-18 kunimi Aobaku Senndai )


仙台にお越しの折は
気軽にお寄り下さいませ

ご連絡先はコチラでした!
090-7325-5711



師 沼田 勇 先生 



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文章を通しての師

Rudolf Steiner 先生
Kōdō Sawaki
沢木 興道 老師 ( 曹洞宗 )


YouTube はこちらでした。
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