行 持 下 「 暗頭の雲霧なり 」
- 2020/10/07
- 09:48
正法眼蔵 行 持 下
「 暗頭の雲霧なり 」
義によりては身命をかろくす
殉死の礼わすれざるがごとし
恩につかはるる前途
ただ暗頭の雲霧なり
小臣につかはれ
民間に身命をすつるもの
むかしよりおほし
( 義によって
( 殉死の礼を遂げるように
( 恩義に導かれる人の前途には
( 暗い雲霧が広がっています
( 業の営みの中に
( 身命をすつるものが多いのです

( 小説や時代劇で
( 幾万の軍が対峙し、雌雄を決します
( 新しい王国が生まれたり
( 新しい幕府が開かれたりします
( でも、その実際は
( どのようなものでしょうか

( 輪廻転生があるとします
( 平安時代は
( 平将門の乱の頃に
( 前回の人生を歩んでたとします
( そこで何を行ったか
( 思い出すこと能わずです

( 誰かをあやめてた、とします
( その相手も同じく
( 輪廻転生してゆく、とします
( ふたりのその後の関係って
( どうなるのでしょうか
( 「 前途、ただ暗頭の雲霧なり 」

( 一度生まれた怨念は
( その人と輪廻転生を共にして
( 意識下の 「 もやもや 」 として
( どこまでもその人を苦しめるのでしょうか

( これは現代の常識では
( すべて仮定のお話しにすぎません
( 家庭でも会社でも
( 国会でも国連総会でも
( この視点からどうすべきかを
( お話し合いすることはありません

( 現代の常識だけじゃなく
( 鎌倉時代の道元禅師の時代でも
( 達磨大師の面壁坐禅では
( 何がなされているのか? は
( 不明だったと推測されます

( 暗頭雲霧にうごめく
( 怨念や激情のような欲望
( これを救済解放しなければならない
( 達磨大師は
( このお仕事をなされてた
( こう、簡単にまとめる事は出来ますが
( 実際に人生を
( この一事に費やした達磨大師には
( これが空想のものでなく
( 実際に生きた実体として
( 知覚なされてた ? のでしょうか
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