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行 持  下  「 使用せず 」



正法眼蔵 行 持  下
 「 使用せず 」


今生、つひに
如来の真訣をきかず
如来の正法をみず
如来の面授にてらされず
如来の仏心を使用せず
諸仏の家風をきかざる
かなしむべき一生ならん
隋 唐 宋の諸代
かくのごときのたぐひおほし

 ( 今生この身で
 ( 如来の秘訣を聞けず
 ( 如来の正法を見れず
 ( 如来の面授に照らされず
 ( 如来の仏心を使用できない
 ( 諸仏の家風を聞けない
 ( 悲しいことです
 ( 六世紀から十世紀
 ( 随、唐、宋の時代でも
 ( そのような状況でした



20200930SS00001.png
 ( 六世紀 ( 520年 ) に
 ( 達磨大師が中国へと
 ( 面壁坐禅の正法を伝えられた
 ( でもすぐには受け入れられなかった
 ( 悲しいことだと言う一節です



20200930SS00002.png
 ( 如来、不思議な言葉です
 ( このブログでは、内十字
 ( という言葉をいつも使ってます
 ( 小石を水面に投げます
 ( 中心から波紋が広がります
 ( その反対で周辺から
 ( 波紋が中心へ集まってくる感じ
 ( これを内十字と言う言葉にしてます



20200930SS00003.png
 ( 如来、を内十字と言う
 ( 簡単なベクトル・イメージに
 ( 置き換えてます
 ( 来る感じ、「 来る如し 」 です




20200930SS00015.png
 ( 達磨大師や道元禅師
 ( 仏法・面壁坐禅を離れてみます
 ( この如来トレーニング ?
 ( 一般生活にお役に立つかも
 ( どうお役に立つかと言うと ・・・
 ( 内十字の計六本の矢
 ( その中の 「 二矢 」
 ( その上からの矢と、下からの矢です



20200930SS00005_20200930111353fbe.png
 ( きっちり大地を踏みしめて!
 ( 内十字ではそうなりません
 ( 身体の中心へ
 ( すべてのベクトルが向いてる
 ( すると足の体感は上向きです
 ( ?? ですが
 ( 重さの体感は上にあり、でしょうか
 ( 上半身のベクトルは下向き



20200930SS00006.png
 ( 足の体感は上向きです
 ( これは??  ですが
 ( 静岡県三島の龍沢寺
 ( 中川宋淵老師の言葉に
 ( 「 薄氷を踏む如し 」 があります
 ( これは禅問答でも思想でもなく
 ( 実感のシミュレーションです



20200930SS00007.png
 ( 床が抜けそうなとこ歩く
 ( 氷が割れそうな湖でワカサギ釣り
 ( そんな経験はまずないので
 ( 「 薄氷を踏む如し 」 と言われてもね ・・
 ( 似た体感に足がすくむがありますが
 ( これは用心を通り越して
 ( 怖さを感じた時でしょうか



20200930SS00008.png
 ( 「 薄氷を踏む如し 」
 ( これは体感シミュレーションなので
 ( 床は抜けないし、湖にも落ちないので
 ( 安心して行えます
 ( この体感へアプローチします
 ( 内十字ですから、上半身からの
 ( 下向きのベクトル ↓
 ( 「 薄氷を踏む如し 」 の体感
 ( 上向きのベクトル ↑
 ( 直線上にそろうよう イメージです



20200930SS00009.png
 ( 重さは下向き
 ( 「 薄氷を踏む如し 」 は上向き
 ( 計算上は ( +A)+(-A) = 相殺の零
 ( となるでしょうか
 ( それで? ・・・ あら不思議
 ( これは通販の個人的ご感想 ですが
 ( 身体の重さが軽くなったような



20200930SS00010.png
 ( 錯覚でしょ! なのですが
 ( 道元禅師の「 かなしむべき一生 」
 ( ではありませんが
 ( 同じく錯覚で、心身を重く感じてる
 ( それでいいんでしょうか



20200930SS00011.png
 ( 錯覚でないものがあります
 ( 直線上に合わせるという理念です
 ( 直線、円でもいいのですが
 ( これは個人的な思いでないし
 ( 思想哲学、宗教でもありません
 ( 実は、科学でもありません
 ( 自然界にはないからです
 ( 精神空間にもありません
 ( あえて言うなら精神空間の
 ( 更にかなたの 「 理念界 」 より来り
 ( でしょうか



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 ( 直線上に合わせる
 ( こんな単純な事ですが
 ( 直線、この理念は
 ( 精神界を凌駕してますので
 ( 小学生でも定規で直線を引く時
 ( お顔が神妙になるわけです



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 ( 女性はお肌のお手入れ
 ( 真剣になされます
 ( それに小顔がよろしいようで
 ( その延長線上で
 ( お顔を神妙になされるのも
 ( よろしいかも知れません
 


20200930SS00014.png
 ( 男性なら、ぼやっとお顔は × だし
 ( ヒステリックな感じも避けたいです
 ( 神妙なお顔がベースで
 ( 常に周りを尊べる
 ( そんなキャラが理想でしょうか
 





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プロフィール

佐々木正巳

Author:佐々木正巳
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「国際交流のための坐禅会」

(ご希望に合わせ随時開催・参加費無料)

2006 東京国立博物館(上野) にて開催
2006~2015 仙台国際センターにて毎月開催
2022 ~  仙台 国見にて随時開催





道元禅師が述べられる 「 正 法 」 は、坐禅に他なりません
Dogen Zenji's definition of "true Dharma" is nothing other than zazen.
生涯が終わる時、私達はこの身を後にします
身体を持たない心魂の精髄が
その後どのように歩んで行くかは、想像すること能わずです
When our lifetime ends, we leave this body
The essence of the mind and soul without a body
We cannot imagine how we will go on after that.

このレポートでいつも述べている
「 身体の中に線を引いて、それを見えなくなるまで細くする 」
I always state in this report.
Draw a line through the body
and make it thinner until you can't see it.
深い眠りに落ちてゆく感じ、そんな感じがします
睡眠では、意識は途切れてしまいます
一方、「 線の見えない化 」 では意識は当然継続してます
「 線の見えない化 」 と言う、とても積極的行為をしてるのですから
The feeling of falling into a deep sleep
That's what it feels like.
In sleep, consciousness is interrupted.
On the other hand
In "Make Lines invisible ," Awareness Continues, of Course.
「 Make Lines invisible  」  It's a very positive act.

これは、とても不思議な物事の進め方です
「 身体から離れる 」 これを現出させるために
身体の造形行為を、その発射台に活用してます
This is a very strange way of doing things!
In order to manifest this " leaving the body "
I use the act of modeling the body as a launching pad.

「 身体から離れる 」 しかも意識を保っている
何故、これが 「 道 」 なのでしょう
" leaving the body "  and still conscious.
Why is this a "true meaning"?

人は、パンがなければ生きていけない
それを、否定できないでしょう?
それに対する答えは、「 人はパンのみに生きるにあらず 」
悪魔と、キリストとの間でなされた問答です
People can't live without bread.
You can't deny that, can you?
The answer to this question is that man does not live by bread alone
A Question and Answer Between the Devil and Christ

悪魔は、パンを足掛かりに人を操る
身体を足掛かりに、人を操るとも言えます
The devil uses bread as a stepping stone to manipulate people.
It could also be said that
the body is his stepping stone to control us.

しかし、悪魔は私達が進化するために
そのような役割を担ってるとも言えます
But the devil is for us to evolve
It can be said that it plays such a role.

意識は保たれている、しかも身体から離れてる
同時に、坐禅と言う造形を継続してるのですから
身体から離れてないとも言えます
まるで、悪魔を無力化してお縄にしてるようです
Consciousness is maintained.
And it's far away from the body.
At the same time, you are continuing the form of zazen.
you can say that you are not detached from your body.
It's as if he's incapacitating the devil and putting him in a noose.

では、悪魔の方から見たら
それはどんな場面となるでしょう
So, What would this scene be like
from the devil's point of view?

「 やれやれ 」 でしょうか
人の魂を進化させるための鬼コーチ
やっとその任務から解放されます
Good grief, right ?
strict coaches for Evolving Human Souls
He is finally free of that mission

坐禅の中にある解放感
これは坐禅をしてる人の解放感ではなく
人間に関わらざるを得なかった悪魔の解放感だと
任務は終った、霊界へ帰ろう、でしょうか
A sense of liberation in zazen
This is not a sense of liberation for the zazen practitioner.
but the liberation of the demons
that had to be involved with human beings.
I have completed my mission,
let's go back to the spirit world, shall we ?








宮城県仙台市青葉区国見5-6-18
( 5-6-18 kunimi Aobaku Senndai )


仙台にお越しの折は
気軽にお寄り下さいませ

ご連絡先はコチラでした!
090-7325-5711



師 沼田 勇 先生 



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文章を通しての師

Rudolf Steiner 先生
沢木 興道 老師 ( 曹洞宗 )


YouTube はこちらでした。
https://www.youtube.com/channel/・・・・








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