行 持 下 「 逃逝 」
- 2020/09/23
- 12:22
正法眼蔵 行 持 下
「 逃逝 」
行 持 下 25 )
歩歩に謗法の
邪路におもむく
歩歩に親父の家郷を逃逝 to-sei す
なんだち西天にいたりて
なんの所得かある、
ただ山水に辛苦するのみなり
( 行けば行くほど
( 仏法をないがしろにする事になります
( 行けば行くほど
( 家郷から遠ざかって行きます
( インドに行き、得る所があるかです
( ただ旅の辛苦が
( あるだけではないでしょうか

( 達磨大師の面壁坐禅
( 道元禅師の只管打坐は
( 「 私 」 を行ずる事に他ならない
( としますと
( インドに行けば仏法に出会うかな
( これが如何にばかげた事か
( そう述べられております

( しかし、初めは誰でも道を求め
( さすらい試行錯誤するわけですから
( ・・・ てんてんてん、です
( 致し方ないとは言え
( 中国には既に真の仏法
( 「 私 」 を行じる
( 達磨大師の面壁坐禅が
( あるじゃないか、と

( クイズに答える、これと
( 「 私 」 を行じる事が出来る
( この二つの距離は
( いかほどでしょうか ・・・です

( 四重奏の楽曲
( 4色が重なってる一色
( この自分を4層の
( 合成体として認識してみます

( 1.素材 ( 物質としての身体 )
( 2.生命形成力体 ( 植物的 )
( 3.感情の総和 ( 動物的 )
( 4.自我

( 写真に映った自分は
( この4層の透かしガラスを
( まとめて見てる感じだとします
( では、達磨大師の面壁坐禅
( 「 私 」 を行じるとは
( これに即して述べれば
( どのような行為でしょうか
( 正法眼蔵 「 行 持 」 の巻
( この行とは
( なにをなされておられるのか

( 4.の自我が
( 3.の感情の総和 ( 動物的 )
( に対し働きかけておられる
( 3.の感情の総和 ( 動物的 )を
( 4.の自我が、内十字に貫く
( これは思想とか宗教と言うより
( 日々の地道なお仕事?
( に近い感じでしょうか

( では個人的な
( 4.の自我と
( 「 私 」 とはどのような関係
( にあるのでしょう
( 「 私 」 とは神のお名前ですから
( この二つは = ですか?
( これは素朴に疑問になります

( 「 私 」 とは神のお名前ですから
( 己の自我と
( それとが同じわけない
( これが正常な推察でしょうか
( しかし、その上でマジックをかける
( それが先聖方の跳躍に見てとれます

( 「 自分からではなく
( 我が内なるキリストから 」
( パウロが述べられた言葉です
( 4.の自我が
( 3.の感情の総和 ( 動物的 )
( に対し働きかけをなすわけですが
( 4.の自我を
( 「 我が内なるキリスト 」 に
( 置き換えられてます
( ここに先聖方のマジックが
( かくされているように思われます

( 自分ではなく
( 我が内なるキリストが
( 3.の感情の総和を貫く
( 自分ではなく
( 我が内なる正法眼蔵
( その聖十字が
( 3.の感情の総和を貫く
( とんでもないスキームです

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