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行 持 下  「 れいへい 」




正法眼蔵 行 持  下
 「 れいへい 」

梁の普通よりのち
なほ西天にゆくものあり
それなにのためぞ
至愚のはなはだしきなり
悪業のひくによりて
他国にれいへいするなり


 ( 梁の普通年間
 ( [ 梁の武帝の時代 520-527 ]
 ( 達磨大師が面壁坐禅を
 ( 中国に伝えた後も
 ( インドへ学びに行く者がありました
 ( 何のために行くのでしょうか
 ( とても愚かなことです
 ( 過去の悪業により
 ( 面壁坐禅を理解出来ず
 ( 自己へ向かえず
 ( 他国遠方へ彷徨うのです
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 ( 「 私 」 とは
 ( 自分で自分を指し示す
 ( そんな言葉でしょうか
 ( 指差す yubisasu ? 
 ( 指差しは、駅や作業現場で
 ( 重要な安全確認の時に行われます
 ( それ以外では違和感があります



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 ( 人差し指での
 ( 指差しは違和感がありますが
 ( 指を、手をそろえて
 ( 下向き系?に向けて
 ( どうぞコチラへ、な感じは
 ( 違和感を感じません



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 ( 坐禅で行う手の組み方
 ( 法界定印
 ( 両手(指) で円相を作ります
 ( 親指以外の四指は揃えてるので
 ( どうぞコチラへ、感があります
 ( 親指は対峙接触してます
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 ( 法界定印の
 ( どうぞコチラへ感には
 ( どっちですか?感があります
 ( 右手と左手の示す向きが
 ( →←
 ( 正確に!逆になってます
 ( どっちですか? です



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 ( どっちへ行くべきか?
 ( そう迷う熟考するのは
 ( ある意味正常です
 ( どうしようもない、インドへ行ってみよう
 ( これも正常な考えと言えます
 ( それは、悪業ゆえにそうなるんです
 ( と言われても ・・・ てんてんてんです
 ( すぐに合点がいかないのは
 ( 当然とも言えます



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 ( 悪業のひくによりて
 ( 他国にれいへいするなり
 ( 「 業 」 が自分を引っ張ってゆく
 ( 一見正当な「 atira を目指そう 」 が
 ( 現実には業による
 ( 不当な隷属だと言うわけです
 ( とは言え、それも一つ考え方で
 ( そうも言えるでしょう、とも言えます
 ( しかし、達磨大師の面壁坐禅
 ( これは一つの考え方ではなく
 ( その実践実際をお持ちになられてる
 ( これが道元禅師を含め
 ( その後の後進方をうならさた
 ( 所以でしょうか



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 ( 「 atira を目指そう 」
 ( 目的課題、目標を明確にすべし
 ( これを世法とするなら
 ( 達磨大師の仏法は
 ( 「 atira を目指そう 」 × 6
 ( × 向きがすべて内十字であり
 ( 世法とは天地懸隔の違いがあります



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 ( 「 atira を目指そう 」 × 6
 ( × 向きがすべて内十字
 ( この達磨大師の面壁坐禅
 ( これが唯一無二だと
 ( 道元禅師は述べられています
 ( しかしこの唯一無二は
 ( その構造?が唯一無二であり
 ( 他に例がないかと言うと
 ( 十字架上で死を通過された
 ( キリスト・イエスの行いは
 ( そのものずばりと言えます



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 ( 心身の深奥に
 ( キリストを受け入れられた方は
 ( 遠方に神を見上げるのではなく
 ( まさにキリストに貫かれた
 ( そう感じておられるのかも知れません
 ( 行為として十字架の死を受け入れる
 ( このキリストがなされた行為が
 ( 自分の深奥で模写される
 ( これが真のキリスト者の
 ( 現実を生きる信仰の在りように思えます



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 ( 十字架上で
 ( 不合理の死を受け入れる
 ( この唯一無二の行為
 ( その同じ構造が
 ( 達磨大師の面壁坐禅の中で
 ( 東洋のかたちとして
 ( 東洋の行法として提示されています
 ( バチカンの神父が
 ( 坐禅を宗教以前のものとして
 ( とても尊ばれ、実践なされた
 ( と言う話しを聞いた事があります
 ( キリストを真に受け入れるものは
 ( 坐禅の内容が
 ( その信仰と寸分違わないことを
 ( 実感出来るのでしょう



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 ( 「 atira を目指そう 」 の内十字
 ( × 6 、× 十方ですが
 ( 「 atira を目指そう 」 の内十字
 ( × 2 をイメージしても
 ( この行法がいかに
 ( 弱者救済を宗としているか
 ( それが伝わって来ます



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 ( 目的を明確にして進む
 ( 世法の 「 atira を目指そう 」 は
 ( 馬力体力?勝負でしょうか
 ( 一方、内十字の
 ( 「 atira を目指そう 」 ×2 は
 ( 微力であっても
 ( この二つが中心にて
 ( 一直線上、逆方向で衝突するなら
 ( その衝撃力はとんでもない
 ( 数千億のプラントで火を起こす
 ( これを世法とするなら
 ( 小石が二つあれば火を起こせる
 ( どこでも誰でも起こせるんだ
 ( これが達磨大師の仏法と言えます

 




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