行 持 「 経師論師 」
- 2020/09/18
- 10:55
正法眼蔵 行 持 下
「 経師論師 」
しかあるに
祖師の遠孫と
称するともがらも
楚国の至愚にゑふて
玉石いまだわきまへず
経師論師も斉肩すべきとおもへり
少聞薄解によりてしかあるなり
( 私は達磨大師の法孫です
( そう名乗る者たちがいますが
( 楚国の愚かな人が
( 玉に似た石を大切にし
( 玉と石の違いを
( 知らなかったように
( 経典や論書を講じる師が
( 達磨大師と肩を
( 並べられると思っています
( これは仏法を聞くことが少なく
( 理解が浅いゆえなのです

( 経典や論書に依らず
( 十字神妙を
( シミュレーションすることが出来ます
( 幾何学的厳粛さがイメージ出来ます

( コンパスで円を描いたり
( 定規をあてて、鉛筆で直線を引く
( これは 「 行 」 働いてる感じです
( → 腹 + 腰 ←
( この逆向きの二力線
( 一直線上に並ぶよう、こころを澄ます
( これも思いや信仰と言うより
( 「 行 」 働いてる感じです

( 一直線上に並ぶよう
( こころを澄ます、働くわけですが
( → 腹 + 腰 ←
( 二つの力線が一直線上に並ぶ
( その実際は 「生行」 じゃなく
( 「死行」 な感じがします

( 一直線上、これを身体で成すと
( 幾何学的厳粛さを感じます
( 「死行」 と言う言葉もへんですが
( 一直線上、頭では単純な事ですが
( 一直線を身体でなぞると
( 迷妄が死すように感じられます

( 屈強な迷妄に抱き着いて
( 有無も言わさず無理心中する
( 辞書をひいても
( この言葉 ( 無理心中 ) は
( ぞっとする言葉です

( 一人無理心中
( 達磨大師の面壁坐禅は
( 豊潤壮麗がゆえに
( 九年の月日が過ぎにけり
( なのですが、一面では
( 一人無理心中とも言うべき
( ぞっとするような峻厳さを保持
( なされておられた

( 一人無理心中
( 聞いただけでぞっとします
( しかし、この死は壮麗です
( 十字の中心、静謐の中へ
( 寂滅して行きます
( 恐ろしき死体を残しません

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