行 持 「 貴賤を知る 」
- 2020/09/14
- 11:56
正法眼蔵 行 持 下
「 貴賤を知る 」
諸侯と帝者と
その儀ことなるべし
その礼も軽重あれども
わきまへしらず
( 諸侯に対する礼法と
( 王に対する礼法では
( その礼法が異なります
( 礼法にも軽重があります
( この事は知られていません

自己の貴賤をしらざれば
自己を保任せず
自己を保任せざれば
自己の貴賤もともあきらむべきなり
( 己の貴賤を知れば
( 己を保つことが出来ます
( 己を保つことが出来なければ
( まず己の貴賤を明らかにすべきです

( 自分はつまらない存在だ
( そんな自虐的なお話し
( なわけないです
( それでも 「 貴賤を明らかにする 」
( とは、どういうことでしょうか

( 貴賤を 「 明暗 」 に置き換えます
( 水墨画・墨絵のように
( 絶妙なコントラスト・明暗差があると
( まるで生きてるように
( その絵が立ち上がって来ます

( 貴賤を 「 大小 」 に置き換えます
( 自分を中心として
( 土星までの距離に面がある
( 巨大な球体をイメージします
( 自分は、中心にある 0.1mm の球体
( このコントラストは全体で見ると
( 生きた実体のように現れます
( なんかマジックみたいなお話しです
( 雪舟の水墨画は単なる白黒の絵ですが
( 実物は ド迫力に似ています

( 道元禅師の 「 貴賤を知る 」 は
( 貴と賤を別々に見るのでなく
( 二つを一目に見ると、どうか
( その落差の中にとんでもない
( ダイナミックさが立ち現れて来る
( それを述べられています

( 自分はつまらないものだ
( これと
( 世界には、とてつもないものが存在する
( これを同時に感受すると
( 貴がどうとか、賤がどうとか
( それらが姿を消し、想定を超える
( ダイナミックさが己を開示します
( これこそが達磨大師の
( 坐禅の仕様書と言えるでしょう
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