行 持 「 面壁燕坐 」
- 2020/09/02
- 09:27
正法眼蔵 行 持 下
「 面壁燕坐 」
達磨をして
方言に通ぜざらしめば
則ち何ぞ是の時に於いて
能くしかあらしめんや
( 帝又問う
( 「 如何 ika ならんか是れ
( 聖諦第一義諦 syo-tai-dai-itizi-tai 」
( 師曰く
( 「 廓然無聖 kakunen-musyo 」
( このような的確な
( 受け答えが出来たのは
( 達磨大師はインドの方ですが
( 中国語に通じておられました

しかあればすなはち
梁より魏へゆくことあきらけし
嵩山に経行して
少林に倚杖 i-zyo す
面壁燕坐 menpeki-enza すといえども
習禅にはあらざるなり
( 梁の武帝との会話
( 武帝は、とても不快に
( 思われた事でしょう
( これが何を意味するかは
( 明らかですので
( 達磨大師が梁を離れざるをえず
( 魏へ行かれたことは明らかです
( そして嵩山少林寺に
( 杖 zyo を置かれます
( 達磨大師の面壁坐禅
( それは、その姿在りようが
( 迷情の静謐への帰還を意味します
( 習い事や
( 能力 up の修行とは言えません

( 四本の線
( それが十字に位置します
( 四本の線は
( 外周から中心へ向け
( 漆黒から白色へと
( グラデーションに変化してるとします
( この変化は
( イメージや写真ではなく
( 朝焼けのように
( 実際生きてるとします
( これは恣意的な創作ですが
( それに対応するものがあれば
( それが呼び起こされ
( 実際に生きる力となるはずです
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