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行 持   「 廓然無聖 」



正法眼蔵 行 持  下
 「 廓然無聖 」

 
広州の刺史 si-si 蕭昂 syu-ko といふもの
主礼をかざりて迎接したてまつる
ちなみに、表を修して武帝にきこゆる
蕭昂が勤恪なり

 ( 広州の長官、蕭昂 syu-ko という人が
 ( 達磨大師をあつい礼をもって迎えます
 ( 達磨大師が
 ( インドからはるばる来られたことを
 ( 蕭昂は武帝に報告なされました
 ( 蕭昂は慎み深く真摯な方でした



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武帝すなはち奏を覧して
欣悦して、使に詔をもたせて
迎請 go-syo したてまつる
すなはちそのとし十月一日なり

 ( 武帝はその報告に接し
 ( たいへん喜ばれました
 ( そして使者をたて大師を招聘なされました
 ( それは、その年(527年)の
 ( 十月一日のことです



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初祖、金陵 kin-ryo にいたりて
梁武 ryo-bu と相見するに、梁武とふ

「 朕、即位より已来 kono-kata
寺を造り、経を写し、僧を度すること
勝 a げて紀すべからず、何の功徳か有る 」
師曰く
「 並びに功徳無し 」

 ( 達磨大師は、金陵に赴きます
 ( 梁の武帝は
 ( 菩提達磨大師にまみえ尋ねます
 ( 私は即位して以来、寺を建て
 ( 経を写し、僧を守って来ました
 ( 全てを書ききれないほどにです
 ( これらすべては
 ( どんな功徳となるでしょう
 ( 菩提達磨大師がお答えなられます
 ( そのような事はすべて
 ( 功徳とはなりません



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帝曰く
「 何の以 yue にか功徳無き 」
師曰く
「 此れは但 tada
人天の小果、有漏 uro の因なり
影の形に随ふが如し
有りと雖も実に非ず 」

 ( 武帝が尋ねられます
 ( なぜ功徳が無いのでしょう
 ( 師がお答えになられます
 ( そのようなことで得られるものは
 ( 人間界や
 ( 天上界に於ける小さな果です
 ( むしろ迷情の原因となるものです
 ( 影が形から作られるように
 ( 有るとしても影でしかありません



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帝曰く
如何 ika なるか是れ真の功徳
師曰く
浄智妙円にして
体 tai 自 onozuka ら空寂なり
是の如くの功徳は世を以て求めず

 ( 武帝はさらに尋ねられました
 ( 真の功徳とは
 ( どのようなものなのでしょうか

 ( 師がお答えになられます
 ( 浄智妙円にして
 ( 体 tai 自 onozuka ら空寂なり
 ( このような功徳は
 ( こうすればああなる、と言う
 ( 世間法の延長線上にはないのです



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帝又問う
「 如何 ika ならんか是れ
聖諦第一義諦 syo-tai-dai-itizi-tai 」
師曰く
「 廓然無聖 kakunen-musyo 」

 ( 武帝は尋ねられます
 ( 聖人の真理とは
 ( どのようなものなのでしょう
 ( 師はお答えなられます
 ( 広く開けていて、凡も聖も無いことです



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 ( 凡を嫌い、聖を求める
 ( 悪い事ではない、とも思えます
 ( では達磨大師が述べられる
 ( 「 凡も聖も無い 」 にはどんな意味が
 ( あるのでしょう
 ( 「 円 A の中か、その外 B か 」
 ( この単純な方程式が
 ( 現実の生活では無限の働きに発展します

 ( 「 白人か、黒人か 」
 ( 「 認められてるか、無視されてるか 」
 ( 「 健康か、不調か 」
 ( 「 豊かか、貧しいか 」
 ( 「 絆か、孤独か 」
 ( 「 若いか、老いてるか 」
 ( 「 幸せか、不幸か 」
 ( 「 生きてるか、死んでるか 」



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 ( 「 円 A の中が良く、その外 B は悪い 」
 ( この単純な方程式が
 ( そうとも言える、って軽妙に機能
 ( していれば何の問題も起こりませんが
 ( 現実はどうでしょう
 ( 重く心魂をとらえ、時には狂気となります
 ( 個人であれ、集団であれ
 ( 国家歴史すらぐちゃぐちゃにしちゃう

 ( 「 円 A の中が良く、その外 B は悪い 」
 ( これを 「 そうとも言える 」 に止めておこう
 ( かくの如し、に止める
 ( この如是の法が仏道であり
 ( 達磨大師の道と言えます

 ( 神妙坐禅を組み
 ( 心魂を身十字中心へと静める
 ( 様々な事件が起こりますが
 ( 十字中心の静謐の中へ消えゆく
 ( 円 A の暴走を防ぐ具体策と言えます










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プロフィール

佐々木正巳

Author:佐々木正巳
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「国際交流のための坐禅会」

(ご希望に合わせ随時開催・参加費無料)

2006 東京国立博物館(上野) にて開催
2006~2015 仙台国際センターにて毎月開催
2022 ~  仙台 国見にて随時開催



かつて馬祖 baso の会 e に参じてとふ
「 如何是仏 nyoga-zebutu 」と
馬祖いはく
「 即心是仏 sokusin-zebutu 」と
法常このことばをききて
言下大悟 gonka-taigo す




法常禅師 Ho-zyo zenzi が
馬祖 baso 禅師の坐禅道場で
静かにお坐りになられてる
傍目にそのお姿は、静止してて
水面静まりけり、死人のように見えます
その死んだ水面に、天地が語りかけます
陽光星辰は一瞬も滞らず、その歌を奏でます

法常禅師はある時
馬祖禅師にご質問なされた
「 仏とは、どのようなものですか 」

馬祖禅師が答えます
「 坐禅においては、心が仏となります 」






宮城県仙台市青葉区国見5-6-18
( 5-6-18 kunimi Aobaku Senndai )


仙台にお越しの折は
気軽にお寄り下さいませ

ご連絡先はコチラでした!
090-7325-5711



師 沼田 勇 先生 



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文章を通しての師

Rudolf Steiner 先生
Kōdō Sawaki
沢木 興道 老師 ( 曹洞宗 )










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