行 持 「 無為絶学 」
- 2020/08/19
- 19:04

行 持 104)
寒爐 kanro に炭なく
ひとり虚堂にふせり
涼夜に燭なく、ひとり明窓に坐する
たとひ一知半解なくとも
無為の絶学なり、これ行持なるべし
( 暖をとる炭もなく
( 一人質素な御堂に住み
( 涼しき夜、とる明かりもなく
( 月明かりの窓辺に坐しても
( 何の手応えも感じません

( しかし、これこそが
( karuma に翻弄されてないという
( 「 無為 」 の道に他なりません

( わずかな手応えも感じない
( しかし、これこそが
( 思考が現実を邪魔してない、という
( 「 絶学 」 の道に他なりません
( わずかな手応えも感じない
( これが行持というものです

おほよそひそかに
貪名愛利をなげすて
きたりぬれば
日日に行持の積功のみなり
このむね、わするることなかれ
( 四方から雲が湧き起こるよう
( つぎつぎいずる貪名愛利の念
( これをひそかに
( 内十字の静謐へ収めます
( この日々の行持の功徳は
( はかり知れません
( このスキーム、忘れてはなりません

説似一物即不中は
八箇年の行持なり
古今のまれなりとするところ
賢不肖ともにこひねがふ行持なり
( 南嶽懐譲 禅師の
( nangaku ezyo 677-744
( 「 説似一物即不中 」
( それ!と説いた時
( 「 それ 」 の時間を止めています
( 止まったそれは、もうそれではありません
( 勇猛なマグロさんを
( ピン止めしたようなものです
( もう生きてません

( 貪名愛利の念ですら
( これこれ、それそれと止めなければ
( 内十字の静謐へ流れ去り
( 次々来る如し ( 如来 ) にて、とがなしです
( これを可能としたのが
( 懐譲禅師の八年に及ぶ
( 静謐行持です
( これこそが誰もが願う
( 行持と言うものの功徳です

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