行 持 「 驪竜 ri-ryu の玉 」
- 2020/08/15
- 21:00

行 持 98 )
しづかにおもふべし
驪珠 rizyu はもとめつべし
尺璧はうることもあらん
一生百歳のうちの一日は
ひとたびうしなはん
ふたたびうることなからん
いづれの善巧方便ありてか
すぎにし一日をふたたびかへしえたる
紀事の書にしるさざるところなり
もしいたづらにすごさざるは
日月を皮袋に包含してもらさざるなり
( 熟考することが出来ます
( 驪竜 ri-ryu の玉
( 黒い龍の、顎の下にある宝玉
( この、一尺の宝玉を得ることは
( 出来るかも知れません
( それに比して、一生百年の中
( 今日一日、今ここは
( ひとたび見失えば
( 二度と見ることは、出来ません
( どのような手法があって
( 過ぎた一日、見失った日月を
( また取り返すことが出来るでしょうか
( 歴史の書にも、そのような例は
( しるされては、いません
( いたずらに一日を過ごさずとは
( どのような過ごし方でしょうか
( 日月を
( 皮袋に包含して、もらさざるなり
( この身体、この今です
( この身体円周の中へ
( 「 永遠の日月を、映し宿す 」
( これが、「 いたづらにすごさざる 」 です

しかあるを、古聖先賢は
日月ををしみ、光陰ををしむこと
眼睛よりもをしむ、国土よりもをしむ
( 道元禅師が
( レポートされてる、この無常観は
( 一般的なそれと、微妙に
( そして大いに違っておられます
( 滔々と流れ、止まることなき大河
( 一瞬は二度と戻らない景色です
( 大事に向き合わねば ・ ・
( これだけでも、尊い「 観 」 です
( かたや、この一節の無常観は
( 次のようなものです

( この1コマに、無限日月が
( 映し出され、宿り、そして
( これを生きることが出来ます
( ゆえにこの、今
( この身体の、1コマが大事だと
( 二度と見ることのない
( この夏の積乱雲、それだけでも尊いです
( しかしそれは本当の
( 価値の表層でしか、ありません

( 勇猛果敢な、この積乱雲
( その、一滴その中
( 森羅万象が映っています
( 一滴の水滴、それは
( 森羅万象に、他ならないのです
( 一滴の水滴を創ったのは
( 森羅万象なのです
( 今、この一滴の水滴があるのは
( 今ここで、森羅万象が
( この一滴にはたらきかけてる
( それゆえなのです

( 今、この身体を形成してるのは
( 森羅万象に他ならないのです
( 私達は、この身体という
( 回り道を通って
( 森羅万象に至ることが出来るのです
.