行 持 「 決 了 」
- 2020/08/13
- 09:38
行 持 95 )
古来の仏祖
いひきたれることあり
いはゆる、もし人
生けらんこと百歳ならんに
諸仏の機を会せざらんは
未だ生けらんこと一日にして
よく之を決了せんにはしかず
( 古来の仏祖方が
( 述べられて来た事があります
( 人が百年生きたとしても
( 神妙坐禅で己を明らめなければ
( 一日の命であっても
( その機を受領した者に及ばないと

これは一仏二仏の
いふところにあらず
諸仏の道取しきたれるところなり
諸仏の行取しきたれるところなり
( これは諸仏がみな
( 述べられたことです
( 諸仏が理解に理解をかさね
( 諸仏が行じ行じて来たことです

百千万劫の
回生回死のなかに
行持ある一日は
髻中(ケイチュウ)の明珠なり
同生同死の古鏡なり
よろこぶべき一日なり
行持力みづからよろこばるるなり
( 私達の意識は
( 誕生と死、その間に限定されてます
( 千年前二千年前
( その時代の、別の身体に下り
( 今とは違う一生を
( その時代の人と、私は歩んだのだ
( とてもそうは思えません
( とてもその景色を思い出せません
( 眼鏡を頭頂に上げたのを忘れ
( メガネがないと探してる
( かんざしは今、髪中にあるのに
( 大事なかんざしを忘れちゃった

( しかし、神妙に威儀を正し
( 内十字を切る仏祖の行持は
( 私達に何をもたらすでしょうか
( 森羅万象を見上げ探し求める
( センサーを四方に放射してる日常
( これが180度転じます
( 内十字を切ることで
( 世界は、古鏡に転じます
( すべては内十字中心へ
( 戻って来ます、集まって来ます
( 今生のすべて
( 千年前二千年前、私がなした
( そのすべては失われる事なく
( 古鏡に保存され反射されて
( 今の私を照らしています
( 今の自分は
( それらカルマの Σ に他ならない
( これが明らかになります

( そんな事をするんじゃなかった
( この慙愧 ( zanki ) の念は
( 魂が焼かれるほどです
( それは良い事をした、は
( 世界が温かく、明るくなります
( 自分が何をしたかは
( 失われることはないし
( 私の世界は私が創ったのだ
( これは底知れぬ苦しみであり
( 同時に大いなる希望です
( 私がもたらした或る人の苦痛
( それは今も生きているとしたら
( どのようにしてそれを氷解出来るでしょうか

( 私がその苦痛の中に入っていって
( 私が神妙である事で
( その苦痛が神妙へ誘導されて行く
( これは大いにありえる事です
( 仏祖方が神妙に威儀を正し
( 内十字に心を静められたのは
( 心中には己の荒ぶる心だけでなく
( 私に起因する他者の苦悩も生きてたから
( そのように推測されます
( 無限とも言える輪廻転生があり
( あらゆる事は失われる事はない
( だから、こんなめんどくさい事に
( なっちゃった、とも言えます
( しかし、終わることがないから
( とりかえしが可能だと言えます
( 業火をつけたのは私だけど
( その業火を私は鎮めることも出来る
( 神妙行持がそれを教えてくれます
( 神妙行持がもたらしてくれる
( 大きなよろこびと言えます

行持のちからいまだいたらず
仏祖の骨髄うけざるがごときは
仏祖の身心ををしまず
仏祖の面目をよろこばざるなり
( 神妙に内十字を切る行持ですが
( 両股関節を押さえ、大腰筋を伸ばす
( これで十字の縦線を引く
( 両手を法界定印に組み、親指を合わせる
( その合わせと両肩甲骨の合わせ
( この二つを対抗させて水平
( 横線の力線をつくり、十字横線とする
( この十字の体感力線を土台にして
( 十字4線を四方から
( 同時に内へて向け描く
( この4線一画の体感も筋肉系の事ゆえ
( それなりの開発時間が必要となります
( この4線内一画の体感
( そして、神妙にこころを静めると言う
( 心体トレーニング
( そして先人方は輪廻転生を
( どのように伝えてきたか
( これらを粘り強く検証考察して初めて
( 仏祖の神妙坐禅、その価値を
( 発見出来ると言えます
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