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行 持  「 一寸を行取せん 」



行 持   91 )

大慈寰中禅師 daizi kantyu いはく
一丈を説得せんよりは
一尺を行取せんに如 shi かず
一尺を説得せんよりは
一寸を行取せんに如かず


 ( 丈 ≒ 3 m 尺 ≒ 30 cm 寸 ≒ 3 cm

 ( 大慈寰中禅師 (~862) が述べられました
 ( 法を一丈理解するよりも
 ( 一尺を行ずるほうがよいのです
 ( 一尺を理解するよりも
 ( 一寸を行ずるほうがよいのです



20200812SS00009.png


これは、時人の行持おろそかにして
仏道の通達をわすれたるが
ごとくなるをいましむるににたりといへども
一丈の説は不是とにはあらず
一尺の行は一丈説よりも
大功なるといふなり

 ( これは、当時の人が
 ( 修行を疎かにして
 ( 仏道の本懐を忘れちゃったのを
 ( 戒めておられるのですが
 ( 一丈の理解が無駄
 ( という訳ではありません
 ( 一尺の行は一丈の理解より
 ( 功が大きいと述べておられるのです



20200812SS00010.png


なんぞただ
丈尺の度量のみならん
はるかに須弥と芥子との
論功もあるべきなり

 ( しかしそれは
 ( 丈と尺の違いではなく
 ( 遙か須弥山と芥子粒ほど
 ( 功の違いがあると
 ( さとされているのです



20200812SS00011.png



 ( 大慈寰中禅師が
 ( おすすめになられた行
 ( それは神妙なる坐禅の姿でした
 ( この坐禅の姿を行じることが
 ( 仏の教えを知るに比べて
 ( 桁違いの功徳をもたらすと
 ( その違いは
 ( 遙か須弥山と芥子粒ほど違うと



20200812SS00013.png


 ( しかし大慈寰中禅師が
 ( おすすめになられた坐禅行は
 ( 遙か須弥山、森羅万象を
 ( 芥子粒ほどの我が心中
 ( 聖十字中心へと招き入れ
 ( 映しだす事に他なりません



20200812SS00014.png


 ( 己が森羅万象へと
 ( 拡大して行くのではなくて
 ( 十方から森羅万象が
 ( この身に下り来りて
 ( 今の私を形つくってる
 ( それは遙か
 ( 須弥山の山並みであり
 ( 同時に私が万鏡に書き記るした
 ( 私の過去の行いすべてであると







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プロフィール

佐々木正巳

Author:佐々木正巳
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「国際交流のための坐禅会」

(ご希望に合わせ随時開催・参加費無料)

2006 東京国立博物館(上野) にて開催
2006~2015 仙台国際センターにて毎月開催
2022 ~  仙台 国見にて随時開催



かつて馬祖 baso の会 e に参じてとふ
「 如何是仏 nyoga-zebutu 」と
馬祖いはく
「 即心是仏 sokusin-zebutu 」と
法常このことばをききて
言下大悟 gonka-taigo す




法常禅師 Ho-zyo zenzi が
馬祖 baso 禅師の坐禅道場で
静かにお坐りになられてる
傍目にそのお姿は、静止してて
水面静まりけり、死人のように見えます
その死んだ水面に、天地が語りかけます
陽光星辰は一瞬も滞らず、その歌を奏でます

法常禅師はある時
馬祖禅師にご質問なされた
「 仏とは、どのようなものですか 」

馬祖禅師が答えます
「 坐禅においては、心が仏となります 」






宮城県仙台市青葉区国見5-6-18
( 5-6-18 kunimi Aobaku Senndai )


仙台にお越しの折は
気軽にお寄り下さいませ

ご連絡先はコチラでした!
090-7325-5711



師 沼田 勇 先生 



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文章を通しての師

Rudolf Steiner 先生
Kōdō Sawaki
沢木 興道 老師 ( 曹洞宗 )










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