行 持 「 一寸を行取せん 」
- 2020/08/12
- 12:53
行 持 91 )
大慈寰中禅師 daizi kantyu いはく
一丈を説得せんよりは
一尺を行取せんに如 shi かず
一尺を説得せんよりは
一寸を行取せんに如かず
( 丈 ≒ 3 m 尺 ≒ 30 cm 寸 ≒ 3 cm
( 大慈寰中禅師 (~862) が述べられました
( 法を一丈理解するよりも
( 一尺を行ずるほうがよいのです
( 一尺を理解するよりも
( 一寸を行ずるほうがよいのです

これは、時人の行持おろそかにして
仏道の通達をわすれたるが
ごとくなるをいましむるににたりといへども
一丈の説は不是とにはあらず
一尺の行は一丈説よりも
大功なるといふなり
( これは、当時の人が
( 修行を疎かにして
( 仏道の本懐を忘れちゃったのを
( 戒めておられるのですが
( 一丈の理解が無駄
( という訳ではありません
( 一尺の行は一丈の理解より
( 功が大きいと述べておられるのです

なんぞただ
丈尺の度量のみならん
はるかに須弥と芥子との
論功もあるべきなり
( しかしそれは
( 丈と尺の違いではなく
( 遙か須弥山と芥子粒ほど
( 功の違いがあると
( さとされているのです

( 大慈寰中禅師が
( おすすめになられた行
( それは神妙なる坐禅の姿でした
( この坐禅の姿を行じることが
( 仏の教えを知るに比べて
( 桁違いの功徳をもたらすと
( その違いは
( 遙か須弥山と芥子粒ほど違うと

( しかし大慈寰中禅師が
( おすすめになられた坐禅行は
( 遙か須弥山、森羅万象を
( 芥子粒ほどの我が心中
( 聖十字中心へと招き入れ
( 映しだす事に他なりません

( 己が森羅万象へと
( 拡大して行くのではなくて
( 十方から森羅万象が
( この身に下り来りて
( 今の私を形つくってる
( それは遙か
( 須弥山の山並みであり
( 同時に私が万鏡に書き記るした
( 私の過去の行いすべてであると
.