行 持 「 小 院 」
- 2020/08/08
- 13:56
行 持 87 )
この天童山は、もとは小院なり
覚和尚の住裏に、道士観
尼寺、教院等を掃除して
いまの景徳寺となせり
( 天童山は
( もとは小さな禅堂でした
( 正覚和尚 ( 宏智禅師 )が
( 道教の寺や尼寺
( 教院などを取り除き
( 今の景徳寺の形にしました

師 遷化 senge ののち
左朝奉大夫 satyobudaihu
侍御史 zigyosi 王伯庠 ohakusyo
ちなみに師の行業記を記するに
ある人いはく
かの道士観、尼寺、教寺をうばひて
いまの天童寺となせることを記すべし
( 宏智禅師が亡くなった後
( 左朝奉大夫 侍御史の王伯庠が
( 禅師の足跡を残そうとしました
( その行業記に対しある人が述べました
( 宏智禅師は、道教の寺や
( 尼寺・教院を排除して
( 今の天童寺にしてしまった
( そう記すべきだと

御史いはく
不可なり、此の事、僧の徳に非ず
ときの人、おほく侍御史をほむ
しるべし、かくのごとくの事は
俗の能なり、僧の徳にあらず
( 侍御史 zigyosi は
( その意見をよしとしません
( そのように記しては
( 宏智禅師の徳が伝わらないからです
( この判断を多くの人が褒めました
( 世間道の判断は
( ものごとの表層を見て判断します
( 世間道ではそれが正しいのですが
( 宏智禅師のような方
( その本質に近づくには
( 別のアプローチが必要となります

おほよそ仏道に登入する最初より
はるかに三界の人天をこゆるなり
三界の所使にあらず
三界の所見にあらざること
審細に咨問すべし
( 「 これが必要です 」 から創られる欲界
( 「 これをよしとする 」 から創られる色界
( 「 こうである 」 から創られる無色界
( これら三界は、あたかも
( 不動の真実のよう厳然としてます
( しかし、実際は別です
( ある条件下で入道雲が現れ
( ある条件下で虹が現れるように
( 三界は、生と死に区切られた
( その A ~ B 時空間でのみ
( 現れることが出来ます
( 生の壁・死の壁
( この壁があるゆえに
( 私達は時間の支配下に入ります
( 60 分食べ放題だと
( この間に元とろう
( 得しようとテンションを上げます
( もし、果てしなく食べ放題だったら
( ゆっくり味わうでしょうし
( 食べ急ぐ事や、食べ過ぎる事は
( ばからしく思えてきます
( 仏道に参入するとは
( 生の壁・死の壁
( 二つの壁を壊す事に他なりません
( 生の壁・死の壁が取り除かれたら
( 私達はどう変化するでしょうか
( 自由を規制する
( 従来の 「 時 間 」 は消えます
( それに代わって
( 過去方向未来方向
( 共に果てのない時間が
( 時間という在り方をやめ
( 空間として立ち現れます
( そこでは、時間が空間になります

( 千年前私は
( ある人を傷つけたとします
( 時間が無限の地平をなしてたら
( 罪をあがなわねば、と思えます
( 成りたいものがあるなら
( 少しずつ技量をつけよう、と思えます
( どのようにも変われる
( そう思う事が出来ます
( 仏道は
( 三界を脱したところ
( 生の壁・死の壁を
( 取り除いた所に広がります
( ここでは不動のカルマと
( 豊かな自由が共存してます
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