行 持 「 合宮総章 」
- 2020/08/03
- 08:37
行 持 79 )
尸子 sisi にいわく
黄帝の行をみんとおもわば
合宮に於いてすべし
堯舜の行をみんとおもわば
総章に於いてすべし
黄帝の明堂は
草を以てこれをふく
名づけて合宮という
舜の明堂は、草を以てこれをふく
名づけて総章という

( 歴史家の尸子 sisi [ca BC300]
( が書き残しています
( BC2500年頃の黄帝の行いは
( その住まい「 合宮 」 にあらわれ
( 堯帝、舜帝の行いは
( その住まい「 総章宮 」 から窺い知れます
( 黄帝の執務室は草ぶきの草庵で
( その名を「 合宮 」 といいました
( 舜帝の執務室も
( 同じように草ぶきの建物で
( 名を「 総章宮 」 と言いました
[ BC2500年頃、日本は縄文時代です
[ 草ぶきの家は普通だったのでは
[ この一節はそのような
[ 建築史の追跡でなく
[ 黄帝、堯帝、舜帝と言う
[ 古代のリーダーが
[ どのような方だったかを示す一節です
[ 三人の聖人は質素に暮らされてた
[ 尸子 sisi にとっても
[ 道元禅師にとっても
[ 黄帝・堯帝・舜帝は
[ 遠い「 いにしえ人 」 です
[ 何故それを称賛出来るのでしょう
[ 目に浮かぶのでしょう
[ 尸子 sisi も、道元禅師も
[ 私達もその時代を生きてた
[ だから理解出来ると言えます
[ 遥か遠い祖先の系譜
[ その中に私達が点在してる
[ 千年おき、飛び飛びですが
[ 古の時代、確かに私達は
[ そこで生きていた
[ これが輪廻転生が明かす
[ 現実の人生と言えます
.