行 持 「 幽 棲 」
- 2020/08/02
- 10:02
行 持 77 )
いはんやこの日本国は
王臣の宮殿なほその豊屋あらず
わづかにおろそかなる白屋なり
( 中国の祖師方は
( まるでアウトドアな質素草庵で
( 坐禅行持をなさってます
( ましてや、この日本では
( 王臣の方ですら質素な
( 茅葺屋根に暮らしています

出家学道の
いかでか豊屋に幽棲するあらん
もし豊屋をえたる、邪命にあらざるなし
清浄なるまれなり
もとよりあらんは論にあらず
はじめてさらに経営することなかれ
( 王臣の方ですら
( そうなのですからまして
( 出家学道を志しながら
( 良い環境豊屋を求めることは
( 行を真逆に進むようなものです
( なぜなら環境の良しあし
( その枠外に活路を開くのが
( 仏者だからです
草庵白屋は
古聖の所住なり
古聖の所愛なり
晩学したひ参学すべし
たがゆることなかれ
( 内なのか外なのか
( 風通しがいいのが
( 古聖の所住と言えます
( 寒暖にさらされるし
( 夏には蚊に悩まされる
( まるで風葬のようです
( 輪廻転生してるとしたら
( 私達は一千年前・二千年前
( 前世・前々世の経験と智慧を
( 今生に携え活用出来るはずです
( この方・この出来事との出会い
( それが必然と思えるはずです
( しかしその記憶は
( 記憶喪失者のように浮かびません
( 記憶喪失者に
( 昨日は存在しませんので
( 輪廻転生もまた闇の中です
( 何故でしょうか
( 千年を旅する私達の精神の核が
( この身体に十分入り込めてないから
( と言えます
( 何故でしょうか
( それは一面では完璧で
( しかも高密度な「時代思考」
( それを幼少期に受け入れてしまったから
( この弊害は千年・二千年前
( 古聖方も同じように直面し行き詰り
( 打開の道を模索したはずです
( 古聖が我が身を
( 生きてるのに風葬にしたのは
( 忌み嫌って捨てた、ではなく
( そこに密存する規定思考
( これを流放するため
( 空気の流通をよくするため、と言えます
( それは千年を旅する私を含め
( 生きた情報を受け入れるためだった
( と言えます
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