行 持 「 古来の勝躅 」
- 2020/07/27
- 14:54
行 持 72 )
古往の聖人
おほく樹下露地に経行す
古来の勝躅 syotyoku なり、履空の玄風なり
( 白雲守端禅師は続けて
( 聖人方のおおくは
( 樹の下や露地で御修行なされました
( 古の優れた事跡と言えます
( 身体に埋没することなく
( 身体から離れ、かつそばで尊ぶと言う
( 空の玄風のなせるわざです
なんだち出家学道する
做手脚 sa syu kyaku なほ
いまだおだやかならず
わづかにこれ四五十歳なり
たれかいたづらなるいとまありて
豊屋をこととせん
ついに不従なり
( 出家弁道に励まれていますが
( まだ手足の振る舞いは荒く
( 穏やかになっていません
( 修行出来る年月は
( わずかに四五十年
( その貴重な時間を
( 豊屋で過ごす暇がどこにありましょう
( 白雲守端禅師はそう述べられ
( 坐禅堂修築を
( ついに御認めにはなりませんでした

[ この一節から
[ 白雲守端禅師が狂信的な
[ ブラック指導者ではなかったと
[ よく伝わってきます
[ 修行する僧達をよく見ておられた
[ 手足の振る舞いが
[ いまだ穏やかならず
[ これにはどんな意味があるでしょう
[ 劣悪な環境で坐禅する
[ その事に意味はなく
[ 坐禅に身体を捧げ
[ これまでのような身体との関係
[ ガチガチな関係を解く事に
[ 坐禅の意味があると言えます
[ 愛憎がちに組んだ二人
[ 賢人がそれを見て
[ 適度な距離に修正しようとしてる
[ そのようにも見えます
[ そう見ますと、このテーマは
[ 千年前の奇事ではなく
[ 今ここ、どこにでも息づく
[ 見逃せないテーマだと気付かされます
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