行 持 「 三十余年 」
- 2020/07/23
- 19:15
行 持 60 )
坐禅弁道すること三十余年なり
人事たえて見聞せず、年暦おほよそおぼえず
四山青又黄のみをみる
おもひやるは、あはれむべき風霜なり
( 法常禅師は
( 大梅山の草庵にて
( 三十年以上に余り
( 坐禅を中心とする生活をなされた
( 世間との交流はなく
( 年暦すら分からなくなりましたが
( みずみずしい新緑と
( 紅葉千色織りなす幾星辰の中
( 法常禅師は、しみじみと
( その光・その音を聞いておられた
( そのように察せられます

[ 親族、師や友人
[ 大事な人をなくす事は
[ 言葉には表せない悲しみです
[ 自分自身においても
[ 老いて身体の自由を失い
[ そして死すのみ
[ あまり楽しい事には思えません
[ この同じ死が
[ 法常禅師においては
[ まったく別の働きをもたらします
[ 法常禅師は御元気なのに
[ その御身体を
[ 死の十字架 ( 坐禅 ) に供します
[ そしてその先には
[ 百鬼灼熱の死の暗黒が
[ 展開したでしょうか
[ 法常禅師の場合
[ 推移はまった逆です
[ 何気ない木々
[ 普通の空の陰影 それが
[ なんて美しいんだ ・・
[ まるで神仏の化身のよう
[ そのように草木水鏡が
[ 本当の姿を開示したのです
[ 同じ死から
[ 法常禅師は
[ まったく別の働きを導いたのです
.