行 持 「 如何是仏 」
- 2020/07/23
- 09:56
行 持 58 )

大梅山は慶元府にあり
この山に護聖寺を草創す
法常禅師その本元なり
禅師は襄陽人なり
( 大梅山は慶元府にあります
( ここに、護聖寺が建てられました
( 開かれた法常禅師は襄陽 zyōyō の方です

かつて馬祖の会に参じてとふ
「 如何是仏 」 と
馬祖いはく 「 即心是仏 」 と
法常この言葉を聞きて言下大悟す
( 法常禅師はかつて
( 馬祖道一禅師の元に参じて問いました
( 仏とは、どのような意味ですか
( 馬祖道一禅師は答えられました
( その身を十字架にかけ
( 中心に滅する、生きつつ死すことです
( 法常禅師はこの言葉を聞いて
( 納得なされました
( いずれ死すゆえに
( 今は貴重な時間と言えます
( このように死を生に生かす事が出来ます
( しかし祖師方の死の活用は
( これとはまた、別のものです
( 死は必定ゆえに
( 有無を言わせないものです
( 死は私達に不動を教えてくれます
( いずれは出合うものですが
( 心身健康な時に
( 祖師方は、死を生に持ち込みます
( 祖師方は坐禅してるわけですから
( 当然生きてます御存命です
( 坐禅に身を供する事は
( 東洋の十字架と言えます
( 十字架上で死を受け入れる
( 死は絶対と言う超圧倒的力を有します
( どんな心の綾も寂滅してしまう
( 死をもって心薬とする
( これが祖師方の即心是仏です
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